小泉宗雄・「三光太源文化研究所」のご案内

特別編(第四十四話N)2024年10月


令和六年十月吉日


スピリチュアル エピソード 特別編 第四十四話


ローム太霊がその死を哀惜された

父小泉平一の軌跡



第四十四話

三光太源会で平一が、門下に教え諭していた

ことはー


その9 神霊界の実相「空」について」

 前号で予告した「大道」は私の記憶違いで、すでに今年1月にお話ししてありましたので、今回は「空」についての講義をご紹介致します。

 「大道』が教える空は

  1. 仏教で言う空諦ではない。仏哲の云う空諦、空は一切法の因縁により生じるものだから、実態が無いということではない。

  2. 神道で言う中今、時間の永遠の流れの中の中心点として存在する今、単なる時間的な現在ではなく、神代を継承している今ではない

  3. 空を求めようとするならば、目に諸々の不浄を見て、心に諸々の不浄を想わず、耳に諸々の不浄を聴きて、心に諸々の不浄を聴かず、心に諸々の不浄を思って、心に諸々の不浄を思わず、身に諸々の不浄を触れて、心に諸々の不浄を触れず、という祝詞の教えの如く、常に一切のこだわりに囚われることなく、あらゆるこだわりを捨てて無雑夢想の境地に遊ぶことを空と云う。

  4. 神、霊、幽、現の四神界の実相は、一番下が色という世界、その上が光、空、無、その上が旡というものがある。(光、空、無=純一無雑)と云うしかない界であって、それぞれが言葉に言い様がない無限の高さと、無限の深さを持ち、空境の中にある力は光の中にある力とは格段の違いがある。

     無はそれ以上のもの最高のものだから、例えるならば、幽を光とするなら霊は空であり、神は無であるといえるのである。

     妙=玄妙=神妙=霊妙

     そこに於いて、霊妙の力、玄妙の力、神妙の力を求めんとするなら、あらゆるこだわりがあって、こだわりにとらわれることなく、自身の心を常に統一させて、空境に遊ばせるである。

     さすれば自然に光の中の?にのれ、空の中の?にのれ、無の中の?にのれることが出来る様になるのである。

     普段の行の力と力をかみ合わせさせて行くならば、偉大なる力が出るのである。

     意識して幽界の空境に行こうとするならば、四体積透の術が必要であるけれども、そんなヒチ面どくさい法はいらない。

  5. もっとも簡単で的確にそこに行ける法がある。

  6. 最も簡単で的確な法を云うならば、それは眠りである。

     ただ眠ってもそうはならない。守護霊よ、眠っている間に、そちらにお連れ下さい。そして、霊妙の力、玄妙の力、神妙の力が身に付きます様、ご指導をお願い致します。そう祈って、そして臍の上に手をやって統一しながら眠る。

                               完