小泉宗雄・「三光太源文化研究所」のご案内

第29話2017年2月


 平成29年2月吉日


スピリチュアル エピソード 第29話


幼い日に目黒不動尊で覚えた薬師如来の真言



 「おんころころ せんだり まとうぎそわか」この奇妙なコトバを覚えたのは、私が幼いある日の出来事によるものでした。
 それは昭和15,6年、私が銀座一丁目に住んでいて京橋幼稚園に通っていた頃のことです。長兄の幸雄の手に疣が出来てなかなか治らないため、第22話『とと姉ちゃんのパーティーで見かけた大物女優のオーラ―の話』でお話しした、次兄道雄の面倒を見て貰ったバッバ・針生春代さんに連れられて、兄弟3人して目黒の不動尊にご祈祷をお願いしに行きました。
 あまり広くない部屋でした。仏像の前に袈裟を着たお坊さんが数珠を手に座り、その後ろにバッバが、そしてそのまた後ろに私達3兄弟が座らせられました。
 お坊さんが護摩を焚いてお経を上げ、そしてこの「おんころころせんだり まとうぎそわか」と云う言葉を大きな声で唱え始めました。すると、正座していたバッバがその声に併せて、ばったの様にびょんぴょんと飛び上がるのです−。私達はあっけにとられました。
 15分ほど続いた読経とこの言葉が唱えられている間中、その動作は変わらず続いていたのです。そして、読経が終わった後、バッバは一人で「おかしい、おかしい」といって自分で自分のその行為に首をかしげていました。
 幼かった私にはそれらの行動が強烈な印象となって、独りでにこのコトバが脳裏に刻まれたのでした。
 家に帰ってバッバは父に挨拶して「旦那、坊さんがお祈りしている間中、身体が独りでに跳ね上がって止まらなかったんです。何なんでしょうか」と尋ねました。すると父は「あそこの神様は好き嫌いが激しい方なんだ。おばちゃんの幸雄の疣を治したいとの一心が通じて感応したために,起こったことなんだよ」そう云った言葉まで、不思議とはっきり覚えております。
 それ以来、長年に亘り、時折、何気なく思い出しては口の中でつぶやいて来ました。そして、これが薬師如来の真言であることが判ったのは、四〇歳を過ぎた頃でした。それは、この様な経緯からでありました。

 ローム太霊が教えられた祭事の中に「べいさく祭」と云うお祭りがあります。この祭りのことを「ローム太霊講話集」では次のように解説しております。
 『これはインドの北境にあるヒマラヤ山中で行われる祭りであるが、毎年5月の満月の日になると、月が上がる30分前に、山の中腹にある大理石の大きな四角の台の上に大仙人が出られ、その周囲に何万と云う仙人が姿を現すのである。
 これを見るために、この満月の日の6時を目指して、遠い国々から半年がかりで巡礼して集まった人々が麓を埋め、、仙人達が朗誦する頌詩に声を合わせる。いよいよ月が出る時になって、その大仙人が右手に持っている3尺程の両端にダイヤモンドの付いた黄金の棒を振ると、その大理石の台の両隅に大きな花束が花火のように現れる。
 その真ん中に立って大仙人がもう一度その棒を振ると、今度は東の空にお釈迦様の形をした方が出られて、左の手に持ったお椀から水がぽたぽた落ちる。それと同時に、そこに集まった何十万もの巡礼が、それぞれの懐から瓶を取り出して蓋を取って天に向けると、そのお椀からこぼれている水が何十万もの瓶に自然に入ってくるのである。
 ここで注意しなければならないのは、巡礼は人間であり釈迦と仙人とは次現界の存在であって、この2つの違った世界の居住者が一緒になって一つの現象を行っていることである』
 そして、この夜には月に向かって祭壇を設け、牛肉と卵を上げて物を得る力が得られるように祈り、更にヒマラヤの方角を向いて「釈迦」と「ロードマイトレーヤー太子」を祈れと教えられました。
 私は、この祭りが同じ日に「鞍馬寺」で「うえさく祭」と云う名で行われていることを雑誌「ムー」で知りました。併せて、同じ時期に別の資料で、この「ロードマイトレーヤー太子」とは仏教で言う「薬師如来」の事であり、私が長年つぶやいていたのは「薬師如来の真言」だったことを知ったのです。
 それを機会に、仏教についての関心が目覚め、今では寝る前に般若心経と観音経、あわせてロードマイトレーヤー太子とこの真言を上げるとことを常としております。
 私は4回癌に冒され、そのたびごとに完治して今日に至りました。その幸運の一端は、この薬師如来のマントラを唱え続けたお蔭にあるのではないか、そして、主護霊がそれを見越してこの幼い日に、このマントラを私の脳の奥深くに刻み込まれたのではないか、今しみじみとそんな思いがしてなりません。