小泉宗雄・「三光太源文化研究所」のご案内
平成28年1月吉日
スピリチュアル エピソード 第18話 (その2)
その2 私のことを“下のお兄ちゃん”と呼ぶ
水子の長男一雄はまだ学童だが―
成人するまで、男子3人兄弟の末子に生まれたと思っていたのですが、実は私は4人兄弟でした。初めて生まれた男の子は流産だったのです。それが何時だったのかは聞き漏らしましたが、長兄の幸雄が生まれた昭和9年の数年前の様です。
当然のことながら、両親の落胆は大きく、一雄と命名して弔いましたが、母は、しばらくの間キューピー人形を身代りに抱いて、悲しみに耐えたとのことです。
そう言えば、大きなセルロイドのキューピーを抱いている、セピア色の母の写真を見た記憶があります。
その一雄が幼児の姿で、数十年の時を経て父の許に出現したのです。“拝んでいたら、幼児が出て来たので、お前誰だと言ったら一雄と答えた。そこで、この子があの一雄かと判ったんだよ”昭和30年代の終りの頃でした。以降、彼岸や盆の祖霊祭に一雄の名が加えられました。
その一雄は、私が綜研の名古屋支社長を勤めて、一人暮らしをしていた30代に出現しました。その姿は見えないのですが、私の寝床の周りをぐるぐると踊るように走り回るのです。それが、一雄だと分かったのは、竹内満朋から“それは君に縁のある子供の霊だ。”と教えられたからです。
“何か声をかけてやると良い”と言われたのですが、その余裕がなく、東京に戻った後でも、何回かそのようなことがありましたが、ついに出来ませんでした。何故そのような形で出現したのか、多分私を激励するためだったのではないでしょうか。
その一雄が初めて姿を見せたのは、平成6年8月のことでした。一年ほど前に他界した母の手を引いて、寝ている私の枕元まで案内して来たのです。
突然、誰かが枕元に座り、両手を肩口から差し入れて私の手を探って握りしめ
“身体を大事にしてね”
そう云ったのです。
プリンプリンの赤子の様な手でした。そして、ふっと消えてしまいました。
私はてっきり、これは一雄だと思っていました。ところが実は、それが母だったことに気が付いたのは、翌日の朝食の時家内に“昨日一雄が出てきてね、男の子のくせに私の手を握り締めて、身体を大事に−”そこまで言って心が弾けたのです。“あー、あれは母だったんだ。母が別れに来たんだ!”そして悔やみました、“どうして何か、声をかけてやらなかったのだろうか”と。
そして、4年前、会社の経営改革の決断を迫られた誕生日の夜でした。「その3」でお話しするミホコと連れだって出現し、一枝の真っ赤な野ばらをくれました。
因みに、赤い野ばらの花言葉は「才能」です。多分“お前なら、大丈夫だよ”との、励ましのメッセージだったと思います。
父が他界後、残された膨大な資料を整理している中に、一雄とミホコが連れだって、しばしば父の許を訪れた記録がありました。二人は長兄の幸雄を“上のお兄ちゃん”、次兄の道雄は“中のお兄ちゃん”、そして私のことを“下のお兄ちゃん”と呼んでおりました。
しかし、この世に生を受けていれば長男だった一雄には、その魂のどこかに、一人残されて現世で苦闘する末弟の私に憐憫の情があり、其れがこの様な行為となって現れたことと思います。
“ありがとう。一雄兄さん―”
以 上