小泉宗雄・「三光太源文化研究所」のご案内
平成29年11月吉日
スピリチュアル エピソード 特別編 第五話
第五話 「平一を指導した清和源氏ゆかりの
諸神諸霊について」
小泉の家は清和源氏の系統で、家系図は関東大震災で焼いてしまったとのことですが、戦前まで山梨県の昇仙峡の周辺に小泉村と云う所があり、そこが直接のルーツとのことであります。
曾祖父の平補に子供が出来なかったので、どの様な縁かは分かりませんが、岐阜で生まれた高木益太郎が、溝口生まれの柴崎花と結婚して小泉の家に夫婦養子に入り、小泉の霊統を継承しました。
そのためなのでしょうか、平一が昭和8年に心霊研究を始めると宣言した時期に、平一の霊眼を開かせて神霊との対話や自動書記などを可能にし、更に一層の霊能力向上を指導したのは、黒狐霊神と云われる高貴な自然霊でした。
黒狐霊神がどの様な形で出現されたかの記録は残されておりませんが、黒狐霊神は清和源氏の祖新羅三郎義光公を生前中は主支配霊として指導し、公が没後神人となられてからはその配下神となって源氏を守護しました。第一話「天下取りを目差した武田信玄は、何故三方が原で亡くなったか。そして信玄の黄金は−」でご紹介した、武田信玄を指導して戦国の雄とされたのはその一例であります。
神位の高い自然霊でその本胎は空弧とのこと、黒狐霊神とは仮の名で正式のみ名を云われないため、 降霊会で隼人霊神に伺ったところ、自分で聞けと言われて教えて頂けず、「うんしょうきしょうじょう霊神」と云うみ名が判ったのは、それから十数年後の事でありました。
ところが、暫くして平一の前に新羅三郎義光公が出現し、源心と呼ぶようにと云われたのです。昭和25年11月14日の神霊日記にその時のことを次のように記しております。
「霊眼開けし初時、初めて眼前に大いなる光球(四・五尺の鏡に似たり)に手に取る如く人影出で来たれり。肉眼にて見るに異ならずしてその顔色及び衣服の色彩鮮明なり。その人影僧形の武人にして租衣にて袴をはき杖を持つ。雄偉、接するものをして頭の下がるを覚えしむ。僧形とは禿頭を云うなり。これ義光公の生前のお姿なれど、黒狐霊神、義光公のこの姿をかりて来たり給えしなり。それよりして、その姿にて余を指導さる。されどその折は源心と名告りしかば、これ真の義光公とのみ余思い致したり−。」
新羅三郎公は八幡太郎義家公の弟で、後三年の役に兄の危機を救うため、宮中の裁可が得られなかったために官を辞して、郎党3百騎を率いて陸奥に駆けつけたとの史実が残されております。その折、笛の名手だった義光公を慕って足柄峠まで来た公家豊原時秋に秘曲を授け、その笛を埋めたのが今も笛塚として残っております。なお、義光公の笛を指導したのは、相模と云う名のやはり霊狐だったとのことであります。
また、その戦いにおいて、雁の乱れから敵の伏兵を知ったとの記録がありますが、「これは公の背後霊からの知らせを霊感として受け取られたのだ」とのことであります。そして清和源氏の祖となられましたが、晩年、隠遁して神仙道に入られたと伝えられております。
以降、黒狐霊神に代わって源心霊神が平一の主支配霊として指導されました。ところが、その源心霊神が、実は黒狐霊神の応変であつたことが判ったのは、それから十年程後の昭和20年2月14日の事でした。その日に真の源心霊神が出現されたのです。平一はその有様を次のように記しております。
「朝、例の如く北天の祈りに際し、総髪白衣の霊人我がかたへにあり。年七十前後やや丸顔にして色白く血色非常によく、筋肉隆と威厳記し難し。何人なるやも思わず、そのまま祝詞すすめつつあり。神拝終わりに近かづきてこれ源心霊神なりと気づきぬ。
十年前霊視せし源心霊神は黒狐霊神仮に源心霊神の御姿を現ぜしや。入道にて四十前後なり。我の修行多少の進歩ありて、本日初めて源心霊神に対面せしなり。
夜、統一の際に霊言霊視を得る。『平一、われ源心、汝の念願成就の時来たれり。但し欲を去りてひたすら国家に奉ずる心なるべし。求めずとも来るものは来たらむ』
何故、黒狐霊神が源心霊神に扮されたかは判りませんが、恐らくは平一に自らの数奇な運命・いずれ知らされる託されている使命の重大性を悟らせるためではなかったかと思われます。
更に昭和14年9月29日に斉藤恒之丞源景時霊神が 降霊会に出現して次のように話しております。
「我は斉藤恒之丞源景時と申す者、我汝の修行に付きて補佐致おりし霊なり。汝の云いし源心の霊は昔の我等の主なり。
汝ら人間は上ばかり(神または高級の霊、または守護霊または高級な支配霊等)を見て、その間を見ぬ者多し。即ち幕(中間、高級な霊に通じるには、低き霊を媒体とすれば徐々に通ずるの意)をのけ者にしていること多し。幕とは我らの如きものなり(源心さんに通じるには斉藤さんを媒体とせよとの意)。守護霊又しかり−。」その様に言われて、以降、源心霊神に代わって平一を指導されたのでした。
完