小泉宗雄・「三光太源文化研究所」のご案内

特別編(第二話)2017年8月


 平成29年8月吉日


スピリチュアル エピソード 特別編 第二話


ローム太霊がその死を哀惜された
父小泉平一の軌跡



 この話は私が「ムーミステリーコンテスト」に入賞した「知られざる物理霊媒竹内満朋」の中で紹介済みですが、平一が神霊の道に誘われた奇跡譚として、欠かすことが出来ないエピソードなので今一度お話し致します。


第二話  「平一を心霊の道に導いた、柴又帝釈天の白猿」


 平一は生母が夭折した不幸がありましたが、益太郎の後添えとして嫁いできた義母まさとの折り合いも悪く無く、周囲からも大事に育てられ、成人して益太郎の片腕として家業の切り盛りをしていました。
 益太郎は熱心な法華経の信徒で、死後身延の神霊界に入って修行を重ね、孫の私の背後霊となりましたが、一方、若い頃の平一は信仰心に乏しく、とかく気楽な独身時代を謳歌したようでした
 そんな昭和の初年代のある日、平一はまさに頼まれて、後年寅さんで有名になった柴又の帝釈天に代参に出かけました。
 まさは小泉の家に来る前に、一時、どこかの寺に嫁いだことがあり、そのために寺参りを大事にしていたことと、更に恐らくは、気ままに其の日其の日を送っている義理の息子に、少しでも信仰心が付けば、との計らいだったのでしょう。そして、何故柴又帝釈天かというと、この寺は日蓮宗の寺院で、日蓮が彫った本尊があり、恐らく益太郎も信仰していたためのようであります。
 一方、平一の方はと言えば、寺参りの帰りにどこぞの遊郭にでもと思って、喜んで絽の着物にめかしこんで参詣に出かけ、そして、一応は拝まなければと思って、神妙に目を瞑って本尊に手を合わせたとの事でありました。
 以下は平一が私に語った回想であります。
 「 そうすると、誰かが着物の裾を引くんだよ。誰だと思って目を開けて振り向いたが、誰も見当たらない。気のせいだったかと、合掌に戻ると又裾が引かれ、振り向いても誰もいない----。
 そんなことを何回も何回も繰り返している内に、思わず、ふと目を瞑ったまま振り返るったら、何と大きな白い猿が私の裾を引いていたので、本当に魂消てしまった。」
 「驚いて声を上げそうになると、其の白猿が人間の言葉で『平一俺の言う通りのことを、声を出して唱えろ』って言うんだ。そして、その白猿が、何か聞いたことがあるお経の様なのを一節唱えるので、言われるままに後追いをして唱えたんだ。ずいぶん長い言葉だったが、それが終わったら途端、本尊のあたりから物凄い光が指してきたので、またまた肝がつぶれるような思いだった。」
 「そうすると、其の白猿が『お前には大切な使命がある。もうこの寺に来る必要はないが、其のことを肝に銘じておけ』と言って、気が付くと姿が消えてしまった。これが白日夢というやつかと思ったがどうも気になるので、参道の仏具屋によってこんなお経ってあるのかと聞いたら、『それは若旦那、般若心経ですよ』と言われて、ヘーと改めて驚き直したんだ---”」その後、この白猿は、二度と父の元に姿を見せることはなかったとのことであります。
 「其の当時、小泉商会の計理士、今で言う税理士に西宮という人がいて、これが当時では大変珍しい心霊気違い。しょっちゅう、海外の交霊会の記事やフェアリーの写真が載っている雑誌や何かを持ってきて、あれこれ説明するんだ。」
 帝釈天に行く迄は、ほとんど興味がなく煩いばかりだったそんな話が、途端に面白くなってきたのです。そこで、心霊の本を読んだり、見よう見まねで修行をしたり、神社参りをしたりしていたら、少しづつ、他の人には見えないものが見えてきたり、聞こえない声が聞こえてきたりするようになって来て----、要するに、身に霊能力が付いてきたのです。
 そして、西宮氏に勧められて浅野和三郎先生に師事して本格的な勉強を始めました。昭和一桁の時代、浅野和三郎の元には巫女型の霊媒小林寿子が居り、和彦と云う寿子の夭折した息子の霊が出てきてあれこれ教えてくれたので、父は何か困りごとがあると頼りにしていたようです。因みに、長男が生まれた時もその名前を相談して、「幸雄という名付は、和彦さんと主護霊の合作だ」と日記に記してありました。


                               完