小泉宗雄・「三光太源文化研究所」のご案内

特別編(第二十四話)2019年6月


令和元年6月吉日


スピリチュアル エピソード 特別編 第二十四話


ローム太霊がその死を哀惜された

父小泉平一の軌跡



第二十四話  浅草の桑原医院・桑原時雄との

        交友と別れ



 桑原時雄は浅草柳通りに桑原医院を営んでいた内科医で、戦時中は軍医を務め、陸軍病院の婦長だった盛古と結婚して戦後開業し、一子佳奈美を授かりました。
 浅草が故里なのかどうかは聞き漏らしましたが、明るく磊落な性格で、永年に亘り地元の小学校の校医を務め、又、三社祭では先頭に立って神輿を担いだりして、地元で大変人気が高く、多くの人々から慕われておりました。因みに、妹さんは宝塚のスターだったと聞いたことがありました。
 前話でお話しした北村研の白竜閣で竹内満朋と知己を得、竹内満朋の指導で自動書記の霊力を得ました。
 「暗闇の中で懐中電気の光を追いかけたり、色々なことをやらせられたよ」そんな述懐を聞いたことがあります。自動書記と云っても、何か尋ねると手が動くのではなく、耳の奥にその回答が聞こえて来るとのことでありました。
 そして、紫光会の発足に参画して平一と出会い、その霊能力と託された使命に傾倒した様でありました。因みに、昭和34年太源石油が設立されると、監査役に就任しております。
 昭和20年代の終わり、日曜日になると盛古と佳奈美、それから浅草の芸妓で日本舞踊の師匠をしていた蜂須賀八重を車に乗せて、世田谷の平一の許に教えを乞いに通ってきました。
 なお、八重が所属する浅草芸妓の日本舞踊の会「浅茅会」では、毎年浅草で舞踊の会を催し、その都度平一とさきが招待を受け、楽しそうに出掛けて行った姿が今懐かしく思い出されます。
 その頃になると、母さきの喘息がかなり治まっておりましたが、昭和27年二男の道雄が結核で高校2年生の時休学を余儀なくされ、その治療はもっぱら桑原先生に頼っておりました。 それだけでなく、私も長男の幸雄も体調が悪くなると、必ず浅草で見て貰えと言われて通いました。
 診察室には良導絡と云う電気針の治療器が置かれ、「医者は薬を出すだけでなく、具体的に治療を―」との信念の基に、内科医には珍しい鍼灸治療も行っておりました。
 又、示現医学研究所の名の基に心霊研究に勤しみ、示現会の名で自宅で竹内満朋の降霊会を行うと共に、十数人の会員の面倒も見ていた様であります。
 そして、時雄が三光太源会の幹部になると共に、その中のかなりのメンバーが平一の三光太源会に加入しました。中でも岡野絹、飯浜美代子の二人は会の幹部として平一を最後まで慕っておりました。それらのことは別途お話しいたします。
 私は身体のこと以外でも何か困りごとがあると、もっぱら先生に相談しておりました。20代の終わりに勤務していた会社でトラブルがあり、嫌気を差して辞めようかと思って自動書記で聞いて頂いたところ、「いずれ辞めざるを得なくなる時が来るから、それまでは頑張るように」と云われたので、思い止まったことがあります。因みに、その時とは、それから二十数年後の事でありました。

 その様に心霊の世界の師弟としてだけでなく、親しく交友を重ねていた平一と時雄が、昭和40年の半ばに思いもかけず離別することとなりました。
 当時私は勤務していた株式会社綜研の名古屋支社長で名古屋におりましたが、何とはなしにその様な噂を聞き、心配しておりました。
 その内、時雄が病に倒れ、病状が悪化しているとの話を耳にしたので、平一に何で行って祓ってやらないのかと尋ねると「会いたくないと云って会ってくれないんだ。一生懸命延命の行をしているんだが、それ以上やりようがないんだよ」、寂しそうにそう云うばかりでした。
 そして昭和47年5月に亡くなったのでした。55歳でした。私は仕事に追われて葬儀に出られなかったので、6月の東京出張の折に、久方ぶりに桑原医院を訪ねて霊前に生前中のお礼を申し上げました。
 1人娘の佳奈美さんから、亡くなる数日前まで、患者の診察をしていたこと、そして飼っている九官鳥に「お父ちゃんと云うと、返事をするんで今でもそこいら辺に居るのではないかと思うんですよ」そんな話を聞きました。
 一体、何が原因で平一と不仲になったのか、何人かの門下生に尋ねましたが、皆口を閉ざして語ろうとしませんでした。
 三光太源会で、改めて時雄の追悼式を行った日の夜に、平一は、「せっかく仰せつかった石油開発の神業から、抜けたいと言って辞めてしまった。そのために、寿命が尽きてしまい、本当に惜しいことをした」ぽつんとそう云った寂しそうな顔が、今でも思い出されます。
 そしてその時私は、ふと、無二の道友で又太源石油の幹部だった菊池豊が、昭和38年54歳で没した時も、平一が同じ様なことを云っていたのを思い出して、云い様の無い寂寥感に心を痛めました。
 いつしか、私の脳裏から時雄先生との思い出は希薄となって行きました。
 そして、久しぶりに先生のことを思い出したのは、それから二十余年の歳月が流れた平成5年5月、スピリチュアルエピソード第15話「夢で竹内満朋師の霊に教えられた母の死」でご紹介した、霊夢の中の、そう小泉平一霊人に続いて壁に掛けられた桑原時雄霊人の名札を見た時です。
 「そうか、きっと先生は、あちらの世界で平一と再会して親交を回復したのだ」そう確信したのでした。