小泉宗雄・「三光太源文化研究所」のご案内

特別編(第四十四話-21)2025年4月


令和七年四月吉日


スピリチュアル エピソード 特別編 第四十四話


ローム太霊がその死を哀惜された

父小泉平一の軌跡



第四十四話

三光太源会で平一が、門下に教え諭していた

ことはー


その12 天霊神について 続きその2


 前月に引き続き、天霊神の行門をご案内致します。

第11門 昇聖門 大木に絡みついた弦の様な物で作られた門
 今までやって来た修行の固めの門で、1が付く門はそれに当たる。(21門,31門等)
 此処で固めないと1門に迄戻されてしまう。ここで固めれば、19門で落ちても11門で止まることが出来る、そのための門。
 但し、順調に進んだ霊以外に、色々な段階から落ちて来られた霊もおり、それらの方々が経験された、これからの門の話などが聞かれるし、落ちて来られた方はその力によって尊ばれる。
 叉、奇鬼神の高級霊や人霊、自然霊が遊びに来て、色々な情報を交換する面白い慰安所となっている。
 弦は小さなものと思っていても、段々伸びて大きくなって行く教訓を表す門。

第12門 楽の後の辛い門で苦しい修行場
 神界の外廓迄来て天霊神になる偉い方々が、自分が以前霊界、幽界に存在していた時点の身体に返される。
 人間で言うと、死んでから人間の赤子に生まれ返らされる、修行をさせられる。要は、幽体に返って神界に存在することは、体が焼き焦がされるような苦しみがあるが、この趣旨は幽界、霊界、まして現界に降って人を指導する時、同化したる人間になった時そんな煩悩では修行が何もならない。

第13門 
 人間はなせることの喜び、叉、自分が創造する喜び、これを神から与えられている。ここは、自身に与えられた最高の創造の力により、そのものを考え出す修行場。
 構内に入ると、蜂の巣の様に六角形をなした場所に入る。その中に霊神が温床を定め、その温床により今迄修行した?、空、光などの力を発揮して、自分の範囲の創造により、部屋を大きくさせて行く。
 既に人間の英知として現れているもの、英知以外の創造する力の神、太陽の光線により種から一つの芽が出る、そういう構造と、自然によって神の力による創造とを合併したもの、いわゆる循環とする、それを覚ったものがこの行門の卒業生となる。
 (創造は人間の英知で作られるもの、自然の働きで出来るもの、神の力の創造、これらが合併、循環するということであろうか)

第14門
 各人の個性の現れの仕上げる所。個性は生まれつき持っている性質で、これにより人間として活躍出来る。
 天霊神になって、自分が何をするためにこの道場に来たかを、はっきり知らせる。
 天霊神になられる方は、人間界に生まれた者、幽界以上の移住者で構成されている。12門での英知により、各々自然に神の種がでる一つの結びから、そこにつく背後霊の力によって、本人がその個性―本来の使命を悟られる。

第15門 
 大宇宙に存在する所の幽体、宇宙の所謂外廓の霊が、この門から天霊神の道場に入る。
 即ち、レベルの異なった霊も混入する。だから、人間の考えられる人間界以外の界の事を探知出来る。
 一つの定義を降せば「一は即ちゼロである。零は無限のαである。」これは、人間が俗に云う「卵が鳥を産むか、鳥が卵を産むか」で、零は一=零、零=無限大の定義は通らない。
 この場合の定義は一=ゼロ、ゼロ=無限アルフアとは少し違う。
 此処で自分自身を完全に粉砕する。すると何も自分が無い。自分が無ければ何も考ええない、此処に於いては、無なるものの零が即ちやはり自分なのだ。自分ながら判らない自分だ。
 一=人間それが判るのだから零、零は無限大に合体する。然しそこに何者があるという一つのアルファである。
 哲学で言う、自分が無ければ何もないという定義が否定される。自分が無くても、広大な無限のアルファが存在する。
 この道場の最も重要な定義を考えて日常に処すれば、偉いイエスに勝る聖人が出来る。その様な修行の場所だ。 
 従って、キリスト、釈迦、孔子その他の聖人の精神が、皆天霊神より出た、しかもこの15門道場から出たものであることが判る。
 そうすると、この宇宙、自然は無限に存在することが判る。
一=人間一個 一=零 零=無限大

注)この15門は、ローム大霊が「人間の言葉では説明の仕様がないが、いずれ判る時が来るから、そのまま書いておけ。」と言われた門の一で、内容は極めて難解ですが、イエス、釈迦、孔子などの聖者に関わりが深いので、ご案内致します。

続く