小泉宗雄・「三光太源文化研究所」のご案内

特別編(第十四話)2018年8月


 平成30年8月吉日


スピリチュアル エピソード 特別編 第十四話


ローム太霊がその死を哀惜された

父小泉平一の軌跡



第十四話 終戦、店を再建して義弟に任せて
      不仲になり貧乏に−。
      それは神業を妨げる魔神達との
      戦いの始まりだった。



 終戦になって間もなくして、店員の山本広二さんが復員して平一の許に復職したいと訪ねてきました。平一は店を再開する迄書生の様な事でよければと云ってこれを受け入れ、世田谷の家の3畳の間に同居させることになりました。
 そして、昭和21年に前月ご紹介した菊池さんが家を建て直したので、その古材を譲り受けて小泉商会の店舗を再建しました。そして、山本さんは店員第一号として勤務することとなりました。
 時を同じくして、私の叔父の水野紀一が復員して来ました。紀一は平一の従兄弟であると共に、私の母さきの妹小野塚琴を嫁に迎えたので平一の義弟となっておりました。子供の頃から平一と仲が良く、その縁で小泉商会の言わば番頭を務めておりました。
 平一と違って相撲取りの様な体格をしており、陽気で近所づきあいが良く、お酒が大好き、平一とは正反対の性格でした。後年、町会の役員を長年務め地域の活動に力を尽くしたために、店で執り行った葬儀の時には、中央区の二十幾つかの町会全てから、花輪が届けられました。私達兄弟にも何かと優しくしてくれたので「じいちゃん、じいちゃん」と云ってなついておりました。但し、竹内満朋とは犬猿の仲だったとのことで、平一の心霊研究には、あまり好意的でなかったとのことであります。
 紀一の家は紀一が出征してから、子供達は溝口の祖母の実家に疎開し、琴は叔母の勤めている製皮会社の社員の賄の仕事で寮に住み込んでおりました。そこで平一は、家族が一つとなって京橋の店で暮らしながら、石油開発に奔走する自分に代わって小泉商会の経営をと、店を紀一に任せたのでした。
 当初は順調に行っていたようですが、平一が病気がちで店に行くことが少なくなり、併せて、戦時中に取得した各地の鉱区の税金の支払いがかさむようになると、店の経営に関して口論が絶えなくなり,叔母の琴は間に入って苦労した様ですが次第に関係が悪化し、それが父への支払いに跳ね返って私の家は急に貧乏になってしまいました。
 ところが、貧乏慣れしていない平一は、私の2人の兄達を、昭和天皇の師を務めた杉浦重剛が開いたと言う私立の日本学園中学・高校に通わせたのです。その月謝の支払いに、母さきの苦労は一通りではなかったようでした。そのお蔭で三男坊の私は公立の中学、高校に進学致しました。
 そして、昭和25年、毎月幾ばくかの支払いを条件として、小泉商会の全てを紀一名義に変更することに同意して店の実印を譲渡したのでした。

 戦後、豊野油田開発に奔走する平一に、紀一との確執の他にも、その活動を妨害する様々な災厄が襲ってきました。私の母さきは世田谷に移り住んでから、空気が合わないのか喘息に罹って日々発作に苦しみ、次兄の道雄は高校2年の時、結核を発病し休学を余儀なくされました。
 そしてあからさまに、平一の使命達成に立ちはだかったのが、ヘルマンと云う大魔神でありました。ヘルマンとの戦いは昭和23年1月から始まり、夜ごと日ごと平一の前に出現して威嚇すると共に,さきに罹って持病の喘息の発作を起こして苦しめたり、紀一に憑依して平一のことをなじらせたり、あの手この手で豊野油田開発の神業を放棄させようとしたのです。
 ヘルマンは配下に4人の大魔神を始め4万8千の眷族がいたとのことであります。その力は巨大でした。平一は日々必死に戦い、乗天坊霊神を初めとする平一の背後の諸霊諸神も懸命にこれに助力したお蔭で、昭和24年8月26日ついに、役日の行で授かった印の力でヘルマンを制圧することが出来ました。
 するとヘルマンは一変して善神となり、平一の背後霊に加わったのです。「我魔界にありては大魔王となり、仏界に現じては菩薩となる」そう言ってヘルマンは、善が悪に、悪が善に変転する螺の仕組みを霊言で教えております。

                               以上