小泉宗雄・「三光太源文化研究所」のご案内

特別編(第二十七話)2019年11月


令和元年11月吉日


スピリチュアル エピソード 特別編 第二十七話


ローム太霊がその死を哀惜された

父小泉平一の軌跡



第二十七話

平一の生涯を支えた二つの霊山について



 妙義山と妙高山、平一の生涯はこの2つの霊山に鎮まる大神に守護されておりました。
 妙義山は赤城山、榛名山と共に上毛三山に数えられ、金剛山・金鶏山・白雲山・相馬岳・御岳などを合わせた総称で、南側の表妙義と北側の裏妙義に分かれております。
 金銅山は別名中之嶽と呼ばれ、第一石門から第四石門を始め、ろうそく岩・大砲岩・筆頭岩等ユニークな名前の奇岩は我が国屈指の山岳美を誇っております。
 平一は若いある日、後年の竹内満朋と妙義山に行楽した時、第四石門で土地神から「汝の生涯の守り神である」と云われて妙義山乗天坊霊神とお目に掛りました。乗天坊霊神は以降平一の主支配霊だった清和源氏の租・新羅三郎義光の従兄弟であった斉藤景時霊神に代わってその座に就かれました。
 一時、乗天坊霊神がより高位の位に就かれる修行に専念されるために、同じ妙義天狗界の天海霊神が主支配霊を務められましたが、数年を経ずして復帰され、生涯平一を守護指導されました。
 妙義山は昔から天狗が住んでいると言われ、妙義神社の裏手に天狗堂があります。平一は、乗天坊霊神は妙義天狗界の棟梁だと教えておりましたが、自然霊ではなく人霊から天狗道に入られた方とのことで、詳細は不詳でありますが、その様な方なので、より高位の位を得られたのだとも言っておりました。
 なお、妙義神社に祭られている妙義大神は、元々平一の守りの大神とのことでありましたので、そのご縁で乗天坊霊神が平一を守護されたのかとも思われます。
 以降、平一は毎年4月22日に、欠かさず妙義詣でを続けました。戦前は小泉商会がそれなりに繁盛していたお蔭で、数年間は夏、私達兄弟にお祖母ちゃんと三階バッバ・針生春代さんとお馴染になった旅館・東雲館に長逗留いたしました。戦後の貧乏のどん底にいた時も、何とか工面したり、ある時は北原猪義さんの好意に助けられて続けておりました。
 そして、昭和20年代の終わりごろから、妙義詣でが三光太源の楽しい年中行事となりました。
 何時も20名を超える人数でしたが、定宿の東雲館に荷物を預けて、長い長い石段の妙義神社の脇から、一本杉、蟹の横這い、第一石門から第二、第三と石門を巡って、その昔乗天坊霊神にお目に掛った第四石門に辿りつき、乗天坊霊神と天海霊神をお祭りする神事を行います。
 それから、妙義神社に戻り、顔馴染になっている神主さんのご好意で神前を借り切らせて頂き、平一が神主となってお祭りを行い、終わると東雲館に帰って楽しい直会となり一泊いたしました。
 私は若い頃は、会社の仕事が多忙なのであまり参加しませんでしたが、名古屋から帰って来てからは極力行くことにして、石門巡りの蟹の横這いなどでは、門下のお年寄りの尻押しなどをして喜ばれたものでした。
 ある時、私が父や北島いよさん等数人の写真を撮って現像したところ、白い鎌首の大蛇が映りびっくりしたことがあります。その時益太郎霊人が平一に「この土地の因縁霊である」と教えてくれました。

 一方、妙高山への登山業は紫光会の主催で毎年7月24日に、竹内満朋の先導の許に、毎回やはり二十数人の会員が参加しておこなわれました。
 平一も時折、兄の幸雄も何回か参加したことがあるようですが、残念ながら私はとうとう参加する機会がありませんでした。
 妙高山は新潟県妙高市にある、越後富士の異名を持ち、弥彦山と共に新潟を代表する霊山であります。隣接の旧高田市、現在の上越市は竹内満朋の故郷であり、祖父の竹内喜三郎が妙高山山頂までの道を切り開きました。
 喜三郎はその徳により死後重明霊神となり、孫の竹内満朋の背後霊となると共にローム霊団に加わり、縁のある人々の病を司る力を得ました。
 一行はまず麓の朝日屋旅館と云う定宿に荷物を預け、地元の九頭竜神社でお払いを済ませ、山道の途中にあるお滝場で禊行を行います。
 そして夜中に懐中電気をつけた帽子を被って出発し、木曽義仲の乳母をお祭りした姥堂、玉造霊神をお祭りした祠に参詣して、細く険しい山道をおおよそ6〜7時間かけて明け方に山頂に辿り着きます。そしてご来光を拝みお祭りを行います。
 妙高山には妙高山鶴王大仙大神がおわしますが、この大神をお祭りした神社はありません。このみ名がどの様にして伝えられたのか不詳ですが、恐らくは初期の竹内満朋の物理降霊会で、ローム太霊からお知らせ頂いたものと思われます。
 山頂には天然の小さな祠の様な岩の洞穴があり、その奥に冷気が水滴となって滴っております。この水は霊水として尊ばれ、参加した一堂は競って水筒にその水をためて待ち帰り、体調不良の折などに杯で頂きました。又、その岩の下にある黄色な土は霊土と呼ばれ、やはり体調不良の折に、シップなどに使用しました。これらは妙高山鶴王大仙大神のみいずとして尊ばれたのでした。
 妙高山鶴王大仙大神は竹内満朋の守りの大神であり、そのご縁によるものと思われますが、ローム太霊が竹内満朋の主支配霊の座に就かれると、太霊の生前の主支配霊だった天仙隼人霊神に加えて、妙高山に祭られている妙高山玉造霊神、妙高山重明霊神、妙高山姥堂姥媛霊神が、夭折した友人の岩崎霊人と共にローム霊団に加わり、竹内満朋と縁が出来た人々を、それぞれが得意とするジャンルを分担して守護いたしました。
 また、妙高山鶴王大仙大神は平一の授かった石油開発を守護する大神でもあり、妙義大神と螺にをなしていると平一は説いておりました。
 その様なことから、平一は生前、毎年9月17日を神業祭として、妙高山鶴王大仙大神、妙義大神を初めとする神業を守護する諸神諸霊を、竹内満朋を初めとする神業の関係者を招いて執り行ったのでした。