小泉宗雄・「三光太源文化研究所」のご案内

特別編(第二十八話A)2020年1月


令和二年1月吉日


スピリチュアル エピソード 特別編 第二十八話


ローム太霊がその死を哀惜された

父小泉平一の軌跡



第二十八話

『平一を守護、結縁した歴史上著名な

諸神霊について』


その2 平一が拝謁した諸神霊


 明けましておめでとう御座います。今年も是非スピリチュアルエピソードをご高覧ください。

 平一が拝謁した歴史に残る高貴な神霊の第一は神武天皇霊でありました。
 「人間は神の使い給ふこともあれば、如何なる時においても、自らを卑下することは慎むべきなり。昭和24年2月11日の余の注意日(役日)の祭におけるそれなり。」
 昭和26年2月26日の平一の心霊日記「明玄録・上巻」に、この様な前書きに続いて次の様な出来事が記されております。
 「『紀元節に関係あり。11日は?原大神(神武天皇のことなり)を祭り、国家の安泰を祈れ』と霊示ありて、その御祭りいとなむ。
 くぬぎ原の宮の大神供神多数召し連れまして、あらわに降り給いて真弓に白矢二筋を余に賜う。射よとの仰せなれば、余一矢を虚空に射る。矢宙空を走り、天空の一角を粉砕せしなり。その物凄き様に余は戦慄せしなり。雷雲群がりなく起り電光はためきわたりて、正に原子爆弾の破裂するもかくやと思はれたり。
 その時神武神霊、佩かせ給える神剣抜き放ち給いて、高く天に振り給ふるの三度に及べり。
 神霊の何故に余に矢を賜いて、余に命じ給いてそれを射させしか。たんに霊界の天空を、あるいは魔障を打砕するを目的とせば、神武帝の神霊御自らに、あるいは使神に命じて矢を射させても事足るべし。
 何とて現界の人間に命じて霊箭を賜いて、霊界の一角を打砕せしめ給いしや。そはこれ神の秘にして幽玄の理あるべし。
 神界より霊、幽両界に至り、それより全ての現界に顕る。現界の諸事,幽霊界に至り神界に帰るなり。故に神、人間を使い給いしことあるなり。
 亦、人間の神霊より命じられたる使命の重大なる意義は、単に現界において目に見ゆる現象のみには非ず。余の如きかかる場合もあるなり。
 神より余に命じられたる、豊野油田及び諸資源の開発の意義の深遠なるものは、現界におけるそれのみに非ずして、むしろ霊界における意義の方より以上に深かるべし。
 そは、斉藤景時霊神の言われたる『これ天地の神の創造に発する故、事小なりと雖も事偉大』事小なりと雖もとは正しく然り。その意義の偉大なるに比すれば、油そのものの現界における開発及び事業自体は比すべくもあらざるなり」
 その平一が託された豊野油田開発の意義は、平一に下された啓示を解釈した畏友麦林楢次郎により明らかにされました。そのことは後日お話しいたします。

 平一は明治大帝の神霊にも拝謁しております。昭和25年11月3日の「明玄録・上巻」に、次のように記しております。
 「今日霊示ありて『道暗きに非ず。明るきに非ず。唯に通る人の見方の差なり。』と。
 昔の明治節なれば、心して明治(あけはる)の宮(みや)の大神に祈る。御神姿(衣冠束帯)いまし方に対する事を得て感激に打たるるなり。霊使より玉を賜る。(余初めて御神姿目前に○○)
 余心霊初学の頃、幽界のこの宮居に詣でしことありき。その折はただ、光球の輝けるを対せしのみ。この時は如何なる訳なるか、伊藤博文公のみ霊、諸事案内されし也。」

 西洋史上名高い偉人の神霊としては、旧約聖書において北イスラエル帝国を建国したと伝えられているヤラベアム王の神霊への拝謁があります。
その詳細は「スピリチュアルエピソード第17話」“古代霊アム王に伴われて、台風を司る神の許に”と“キティ台風を司る神の許に平一を伴なったアム王とは”で詳しくお話しいたしましたが、その要点を再掲致します。
 平一の昭和24年1月30日の心霊日記「幽妙紗」によると、平一が霊界に行き、荒涼とした道を歩いていると、東洋と西洋とをごっちゃまぜにした様な大きなアーチの門があり、その門をくぐると、今まで見たこともないような古代西洋の建物が軒を連ねた、まるでお伽の国のようなのどかな街「グラーマニア神界」に辿り着きました。
 そして、壮麗な宮殿の光が充満した部屋の玉座に座られたアム王に拝謁したのです。
 王は黄金の宝冠をかぶられ、髪も髭も銀色に輝き、白人でありながらどこか東洋人の面影があり、純白なビロードのようなものを身にまとっておられました。
 そして『平一、御身のことはここでもよく知られておる。御身は神から命を受けた者じゃ。油の仕事にはなかなかの困難がある。しかし、御身はやり通さずばなるまい。
 今日、御身がこの界に来られたのは良いしほじゃ。御身の心の糧にもなり、御身もその認識を深めるであろうから、御身の仕事がどのような意義があるかということを、少し語ろう。』
 そのように言われてこの霊人は、平一の仕事の意義の重大さを説かれたのでした。平一は深い感動を受けました。
 しかし、平一が現界に帰ると夢に見たようなぼやけた気持ちになってしまい、大切なことはすっかり忘れてしまったのでした―。
 ところがアム王は、同年8月31日に再び平一のもとに出現したのです。
 その日は首都圏にキティ台風が襲来し、夕刻から風速30メートルの暴風雨となりました。「汝に見せたきものあり。統一せよ」そのような霊感があったので、月読みの大神を念じて統一したところ、アム王の使神が出現して平一を遥か天空におわしたアム王のもとに連れて行きました。
 そこから平一は暗黒の暴風雨の中を、アム王の霊身から発する光に導かれて、更に天空高く昇って行きました。そして、前方に一団の光災を見たのでした。
 以下は平一の昭和24年8月31日の日記であります。
 「この時アム王は余を顧みて『彼方に見ゆる光災あるところは、すなわち、汝の乗れる嵐(キティ台風)の中心なり。』と言わる。思わざりき。余はキティ台風に乗れるなり。
 光災に近づき見れば、その中に神霊在まし、御手に剣のごとく思わるるもの縦横に振り振りて、足を踏み轟かし、何者かを叱咤指揮せらるる様なり。」
 「アム王『これ、この嵐を司る神なり。汝の今日の祈り、神に届きし故なり。』と言わる。余、この神霊を拝し、この嵐、速やかに静まり、人畜に災い無きよう祈りたり。この神、『これ、天の命なり』と言わる。アム王『災いは人これを呼ぶ。世穢れ、人身すさみたる時は天変降る。又人これを呼ぶなり。自然なり。』と教えられたり。」
 この様に台風は、人間が引き起こす罪穢れが呼ぶとのことですが、別の折に、平一は主支配霊。妙義山乗天坊霊神から「台風は天地の禊である」とも教えられております。
 神道の禊、キリスト教の洗礼等は水による罪穢れの祓いです。大地の穢れやその地に充満した悪気を、台風により洗い清めるのです。そして、津波も同じ働きがあるようです。 
因みに、火山の噴火は“火による禊”地震は“土の禊”とのことであります。
 これらの天災は、いずれも地球の存在を支える環境条件から不可避ではありますが、それらの災厄を「大難を小難に、小難を無難にするのが人間なのだ」平一はそう教えております。