小泉宗雄・「三光太源文化研究所」のご案内

第13話(その2)2015年5月


 平成27年5月吉日


スピリチュアル エピソード 第13話 (その2) 


主護霊から暗示された寿命と一生の予言、
そして延命して頂いた神慈について


第二話 「お前の寿命は5年延びたよ。

         でもお前、信じられないだろう。

         お前の身近で、何人か人が死ぬよ―。」



 それは、平成10年2月13日、私が 61才の時の出来事でした。予言された「ジ=辞」の年の8年前のことです。

 起業して10年目、17坪程のオフィスに移転して、何とか会社の体裁を成して来ました。時折、予言された寿命のこと、託されたライフワーク等が頭の片隅をよぎることがありましたが、相変わらず昼夜兼行、仕事に追われて思い悩む暇も無く、日々が流れて行きました。

 そして当日、不思議なことに当初からこの出来事が、夜寝ている間に起こったことなのか、あるいは昼間だったのか、いくら考えてもはっきり記憶にないのです。

 でも、よくよく考えると、霊夢ならば、この様な現象が終わるとパッと目が覚めるのが常なので、そうすると、昼間の、言わば白昼夢のような出来事だったかと思われます。

 突然、何か天地が引っくり返るような、そんな眩暈がありました。そして、私の前に、お姿ははっきり見えませんが、何か大きな方が現れたのです。

 「お前の寿命は5年延びたよ。でもお前、信じられないだろう。お前の身近で、何人か人が死ぬよ―」突然、その方はそう言われました。その声は、耳に聞こえたと言うより頭の中に響いて来たようでした。

 「はあー」、私は驚いて思わずそう返事しました。すると、その方は続けて「自分は“いちりゅうれいじん”である。“いち”と云う字は市場の市、“りゅう”は立に申すと書く竜である。」その様に言われました。

 兎に角、有難いことと感謝し、神棚の前に座って主護霊とローム太霊にその由を報告して、それから日々の祈りに市竜霊神の御名を加えました。

 只、“身近で人が死ぬ! ”このことが気がかりでした。親族や友人、仕事の関係者、いったい誰が−。



 亡くなったのは、私が創業する迄長年勤務していた、株式会社綜研のS君でした。S君は永年マーケティング部門に所属してリサーチの業務に従事し、私より十歳ほど歳下でしたが、会社で流行っていたマージャンやゴルフをやらないで、もっぱら読書に親しむ少数派でした。

 いささか理屈に走りすぎる欠点がありましたが、私とは妙に気が合う、言わば飲み友達だったのです。

 平成5年に創業者ともいえる、三十余年社長を務めたM社長が引退し、大手クライアント筋からのY氏が社長に就任しました。

 Y社長は、低迷していた経営刷新のためにリストラを断行し、四十台の若手数人を役員に抜擢しました。彼はその一人として選ばれ、水を得た魚の様に活動して信任を得て、漸くにしてこれから―、と云った人生の季節を迎えたのでした。

 その彼が癌に冒されたと聞いて病院に見舞いに行くと、抗がん剤の影響で頭の毛を剃っておりましたが、相変わらぬ達者な口調で、ゴールデンウイーク明けには退院出来るとのことでした。

 “そしたら、一献おごるよ”そのコトバに見せた、酒好きの彼の嬉しそうな顔が最後の別れとなったのです−。

 それからもう一人、やはり綜研に勤務して私が起業した数年後に独立し、何人かの仲間と共にM社と云うリサーチ機関を作った、U君の奥さんが急死しました。詳細は不詳ですが、まだ四十台後半の若さだったようです。



 ローム太霊の講話によると、人間の寿命は、生まれた時持っている運命で、その大枠が定められておりますが、延び縮があるとのことです。
延びるのは、その人間が生まれた土地を守護している産土の大神が、本人の行為行動から生じる徳や先祖の遺徳の光、あるいは、授けられた使命などを勘案して、特命を以て延ばして頂けることがあるとのことです。

 その寿命の一部は、運命で定められた寿命を全うせずに亡くなった人々の余命を、言わばプールしておき、これに充当するとのことです。

 私の前に出現された市竜霊神は、恐らくは私の産土の大神の使神でありましょう。そして、この二人の死への予言は、私に霊言を確信させるためとだけ思っておりましたが、

 今回、その理(ことわり)を思い出して、“もしかしたら、あの時にS君の余命の一部が私に−”と思い、改めてS君の御霊に、向上への祈りを捧げる次第であります。



 ところで、一生の予言の中で65字目の「けつ」の歳に、奇跡的に超悪性の胃癌が発見され、早期だったので一命を取り止めることが出来ました。

 次回はそのお話をご紹介いたします。



                                      完