小泉宗雄・「三光太源文化研究所」のご案内
平成30年9月吉日
スピリチュアル エピソード 特別編 第十五話
第十五話 「終戦後の混乱の中で豊野油田開発
に奔走、国から試掘助成金交付の
通知を得るも、やむなく返上―」
話は遡りますが、平一は昭和17年豊野油田の試掘権を申請して受理されました。
そして昭和19年3月19日の 降霊会で、隼人霊神からこの事業名を太源鉱業所とするとの指示がありました。「太元とすると言った意見もありましたが太源にします」とのことであります。
そして終戦、軍での開発のルートを失いましたが、壊滅してしまった日本の経済再建のためにとの新たな目標の許に、平一は活動しました。
昭和21年12月、国の地下資源調査所を退職し理学博士となった伊田一善氏に、改めて豊野油田の石油開発可能性の調査を依頼して完全なる油田との結果を得ました。又、元北樺太石油株式会社技師長の新谷寿三氏に知己を得、同氏からもその有望性の指摘を得ております。
その様な成果を基に、国の「石油開発促進委員会」に開発助成金の申請を行い、東京大学上床教授の推薦により、未開発、未着手であるにもかかわらず、商工大臣から試掘に対して助成金47万5千9百2円交付の決定に漕ぎ着けました。
しかし、助成金はその額が総予算の三分の一以下でないと交付が実現されません。平一は各方面に奔走致しましたが、終戦直後の経済が壊滅状況下にある大手企業は、乗って来ませんでした。その理由の一つに、もし開発に成功したならば賠償の資源として没収されるのではないかと云う危惧の念もありました。併せて、神業を妨げる魔の活動も激しかったようであります。
子供心に残っている、父が母に話したことを思い出すと次の様な事がありました。鮭の輸入で莫大な利益を得てミスター鮭と称する実業家にルートを付けたところ、神業を妨害する魔が平一とその実業家の同乗したタクシーの運転手に憑依し、運転手が狂気の様なスピードを出して街中の都電の停留所のガードレールに激突し、平一は無事だったのですが、その実業家が大怪我をして破談になってしまったとか、日本船舶振興会にルートを付けて、その役員の福島よねと云う人に会ったところ、同氏は福島正則の直系とのことで大変興味を持ってくれ、面談している最中に鮮烈な光が飛び交い、これならばと期待したのですが、やはり妨害する魔に妨げられてうまくいかなかったとか、古河工業との話があったが同様だった等々でありました。
その結果、残念ながら助成金を返上せざるを得ない事態になってしまいました。
以上