2度にわたる自動車災害を免れた私の体験談 |
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時期は忘却しましたが、昭和40年代の初め、私が30歳前後の頃だったと思います。
三鷹にある竹内満朋の自宅・紫風苑で毎月28日に開かれる、物理降霊会・主護霊会でのことでありました。
各人の主護霊・主支配霊の霊言が終わり、最後にローム太霊が挨拶をされた時です。
「宗雄」、突然私の名前を呼ばれました。そして、「本来はこの様なことを教えてはならぬのだが、特に教える。この一月間、出来るだけ外に出るな。いいか、そして玉造 (妙高山玉造霊神) に頼め」そう言われました。
「はい、有難うございます」とお答えしましたが、困惑したのです。経済成長の波に乗って会社は発展し、私の総務主任の仕事は多忙を極めました。その中でも、当時の売掛金は全て小切手か手形で、この集金には私が行くしかありませんでした。とにかく神頼み、毎日、主護霊と玉造霊神に、大難なら小難に、小難なら無難にと祈りました−。
運転した車両は確かブルーバードでした。月末の集金に行くために、恵比寿の駅前通りを通りかかった時、いきなり左のドアがバーンと開いたのです。慌てて、バックミラーを見ると、真に幸いにも、接近した後走車がいなかったのです。
車の速度を落としてドアを閉めましたが、もしも後ろに車が接近していて、そのドアにぶつかったらどうなったでしょうか。冷や汗がだらだらと流れたのを今も思い出します。
「宗雄、人生は粘りと痩せ我慢だぞ〜」ローム太霊のあの独特のイントネーション、その声をお聞きすることが出来なくなって、もう三十年の歳月が流れました−。
完