小泉宗雄・「三光太源文化研究所」のご案内

特別編(第三話)2017年9月


 平成29年9月吉日


スピリチュアル エピソード 特別編 第三話


ローム太霊がその死を哀惜された
父小泉平一の軌跡



 この話も「ムーミステリーコンテスト」に入賞した「知られざる物理霊媒竹内満朋」の中で紹介済みですが、父の心霊人生の軌跡において欠くことの出来ないことなので、今一度お話しいたします。


第三話 「父と後年の物理霊能者竹内満朋を引き合わせた飼い犬ポチの霊」


 父が竹内満朋と邂逅した年次は聞き漏らしましたが、私の生まれた昭和11年より少し前と思われます。当時、小泉商会は木造三階建てで、1階が店舗で奥に茶の間・台所、浴室とトイレが、二階はお座敷と両親の寝室にトイレと、一階の茶の間の明り取りを囲んで猫の額程の庭がありました。そして三階には、何人かの住み込み店員が居住する十畳程の部屋があり、屋根の上には物干し場がありました。更に、家の裏には商品の荷造り材料を保管する、大きな倉庫が設置されていたのでした。
 その店舗の土間に「ぽち」が飼われていました。飼い始めた経緯は判りませんが、手元に残っている写真を見ると、4〜5歳の子供位の大きさで、耳の長い、賢そうな目をしています。当時の事なので当然雑種と思われます。後年、第22話でお話ししたお姉ちゃん・南雲悦子さんにポチの奇跡譚を話したところ「あのポチが、年中土間に繋がれて寝ていたポチが!。でも、とっても利口な犬でしたよ」と驚いておりました。
 ある日、突然そのポチが死んでしまいました。其のとき、義母のまさがポチに向かって 「ポチや、若旦那は体が弱いから、お前死ぬんなら病気を全部持って行ってお上げ」と言って、頭を撫でたら、ポチの目からはらはらと涙がこぼれたとのことであります。
 ここからは父が私に語った回想であります。
 「ポチが死んでから暫く経つと、時々、私が一人の時にポチ出て来るんだ。勿論、姿がが見えるのは私だけ。そして、其の都度、人間の言葉でいろいろと教えてくれるんだ。例えば、明日誰々がこういう用件で来る。その腹の内はこうこうだから、こんなことに注意しなさい、なんて言うのだ。」
 「初めの内は商売に大変役に立った。所が、其の内、小泉商会の若旦那は怖い、腹の中を全部見透かされてしまう−、なんて言う評判が立ち始めた。ポチの事が、反ってありがた迷惑にもなってきたんだよ」 
 「そんなある日、ポチが出てきて『若旦那、付いていらっしゃい』と言うんだ。そこで後を付いて行くと、銀座通りに出て何と市電に乗ったんだよ。私も慌てて一緒に乗って、そしてポチが降りた停留所が田町だった。そしたらポチは、駅前の大きなビルに入って階段をスタスタと上って行くんだ。私ははあはあ言いながら追っかけて行ったら、ある階のドアのところでポチが消えてしまったんだ。」
 そして其の時以来、二度とポチは父の前に現れる事が無かったとの事であります。
 「私は慌ててそのドアを開けたら、直ぐカウンターがあり、その向こうにひげを生やした若い男が座っていた。横に、購買課長と書いた標識が立っていた。気を静めて周囲を見渡すと、そこは森永製菓の購買部門の部屋だったんだ。」
 『あんた誰?』とその課長が聞くので、私も商売人、とっさに、荷造り材料の売り込みに来たんだと言ってごまかした。その課長が栄ちゃん(父の竹内満朋への愛称)だったんだ−。
 其の縁で時々顔を出し仲良くなった。当時、栄ちゃんは独身で、夜、中央大学に通って法律を勉強していた。
 何かの拍子で心霊の話をしたら、栄ちゃんは催眠術を少々やったことがあり、すごく興味を持って、それから行くたんびに、心霊の話しを聞かせてくれと離さないんだ。とても商談にはならない−。
 そこで、良かったら多少の空きがあるから、家に下宿しないかといったら大喜び。それから、栄ちゃんが所帯を持つまで家にいて、一緒に浅野先生の所で心霊の勉強や修行をして、私には兄弟がいないことから義兄弟となった。確か杯を交わしたんだよ−」
 その内、竹内氏に霊媒としての素質が育ってきたことから、浅野先生と関わりが深い「菊花会」の小田秀人のところにつれて行き、そこで、物理霊能者のトレーニングを開始した。そのことを、小田秀人は著書「四次元の不思議」(昭和46年潮文社)の中の「霊媒を作った話」の章でこう記しています。
 『その頃東京日本橋の界隈に心霊研究のグループがあり、その仲間の一人として竹内栄一君という若いサラリーマン紹介して来た。物理現象が出来そうだからひとつ指導して欲しい、という触れ込みである。当方としても「心得たり」と大歓迎で、荻原氏とも相談の上、機会あるごとに交霊会に列席させ、また単独に特殊訓練の交霊会を催したり、また私宅で毎週一回の定期的な練習会を開いたりもした---。
 やがて竹内氏も、その後吊るした夜光液の物体が空中にLOUMという文字を書いたのがきっかけで、物理現象は全てすらすらと始まったのであった---。」
  竹内満朋は、生涯これらのことを徳として忘れず、私の父の生前中は毎年必ず1月2日に年始に訪れ、父も又竹内満朋と共に神酒を酌み交わすことを、無上の楽しみとしていました。又、小田秀人の菊花会の活動には終生協力を惜しまず、最後までその会員を対象とした物理実験会を行っていたのです。私が第7話でご紹介した「私が助手を務めた物理実験会」は、その菊花会での催しでありました。
 一方「ぽち」は、第18話でお話ししたように、「ムーミステリーコンテスト」で私がこのポチの行為を紹介したことを喜んで私の背後の霊団に加わり、私のことを「孫旦那」と呼んで加護してくれております。
 そして昨年、お世話になった方が森永の役員になられたので、森永にご挨拶に伺いました。そして、「此処は私たちの聖地なのです」そう申し上げて「知られざる物理霊媒竹内満朋」のコピーをプレゼントしました  

                               完