小泉宗雄・「三光太源文化研究所」のご案内

特別編(第二十八話B)2020年2月


令和二年2月吉日


スピリチュアル エピソード 特別編 第二十八話


ローム太霊がその死を哀惜された

父小泉平一の軌跡



第二十八話

『平一を守護、結縁した歴史上著名な

諸神霊について』


その3 平一が帰縁した諸神霊


 平一が結縁した歴史上の偉人の第一は吉田松陰であります。平一の残した神霊日記「幽妙抄」の昭和20年2月11日に次のような記録があります。
 「於世田谷自宅 紀元節 今日の紀元節は心から拝むこと出来た。午後空襲あり。夜、統一するに及び松陰神社の神霊、吉田松陰先生霊視され、『世田谷において自動書記せよ。通信すべし。』と言わる。
 同2月18日 世田谷自宅 自動書記 吉田松陰霊人
 『日の本に生を受け、日の本の国を忘れる人多き世に、神の道に勤しみ、御魂磨きたる其方達我等心嬉しく思うなり。』
 『今の世は国ありて大君いますを忘るる者、仏ありて神おわしますこと信ずるもの少なき事。ただ人の世の荒み荒み自らの墓穴を掘る有様に心痛ましむ。我ら幽世に入りてより初めて〇の心廻るを悟りしも、常にこれに心を致しある。これより其方を導き教え行くべし。心引き締め修行の道に勤しまれよ。』
 また、同年8月12日に以下の記録かあります。
 「自動書記 松陰先生(午前9時) 国のまつりごと乱るる時は、民共に心乱るるとは、其方の既に知れるごとし。この度の戦ただ事にはあらず。これ神意なり。為政者神を知らず、国民又神を忘る。嘆かわしき事、その中にありてただ一人にて御魂磨くは真に神を知るの人と申すべき。御国未曾有の秋、其方達の努力今一番肝要のこと心に忘れ給うな。
 やがて来たらん大事の秋(注、土の禊の意か)その光輝きまさん。
 我らも力添うべければ、よくよく御魂磨かれよ。ただ、何事来たるとも(空襲の意か)恐るること勿れ。やがて神のみぃずの現れ近きにあり。猛」 
 また、同25年5月21日には次のような記録があります。
 「苦の壁より出ずることを得ず、今は余は日の暮れるを恐れ、又夜の明くるを恐れしなり。余の苦、他人の想像を絶す。20日に至りて、余は余と対立する当面の障魔の力に勝つことを得たり。眞に亦一つの壁門を通り得しなり―。」
 平一は襲ってくる病苦・貧苦・神業の放棄を迫って押し寄せる魔性との一つの戦いに勝つことが出来たのです。
 そして、訪ねてきた盟友菊池豊と縁側に出て新緑の陽光を浴びながら懇談し、座敷に戻る時でした。 
 「余の名を呼ぶものあり。見れば思いもかけず、そこに座して余を待ち居られしは、松陰先生の霊なり。先生には余は久しく対面することなく打ち過ぎたり。先生言われけるは『そなたの修行も進まれたり』
 どの様にして何時、吉田松陰の神霊と結縁したか記録は残されておりませんが、恐らく、松陰を祭った松陰神社が、家近くを走る玉電で5つほど先の駅にあることから、昭和18年に世田谷に居を構えてから、神社に参詣してお目にかかったのではないかと思われますー。


 次にあげられるのは、忠臣蔵の大石内蔵助の神霊であります。
 大石内蔵助霊人は平一の畏友麦林楢次郎の背後霊で、平一の神霊日記の昭和22年10月13日に、三鷹の竹内宅紫風苑での物理降霊会で、隼人霊神が麦林楢次郎に『貴方は修行されていますね。貴方の背後には元禄時代の有名な人がついています。』と教えております。
 平一はこの神霊が大石内蔵助であることを、すでに知っていたとのことでありますが。そのことを知った時の記録は残されておりません。

 昭和24年9月17日の日記では、松尾竜神をお祭りする豊野油田開発の神業祭で、参列した麦林楢次郎の脇に、大石良雄霊人が上下の礼装で着座しているのを初めて霊視したとの記録があります。
 続いて同25年4月16日の日記には、次のように記しております。
 「夜、麦林君を訪ねる。麦林君と対座中に大石霊人麦兄の傍らで余に言わる。『麦林、今回の行、我らも喜びおると伝え呉よ』と、麦兄百日の行の完事を歓ばれるの事なるべし。」
 「今上下の礼装にて余の目前に在せり。余霊人の風格の偉に思わず打たれ、生前における霊人の偉業を憶うる」

 また、平一は昭和19年90歳で没した国家主義運動の巨頭、頭山満の霊とも結縁しております。
 昭和24年2月22日の神霊日記「幽妙妙」に次のような記録があります。
 「夜、統一中、頭山満翁の霊来らる。生前、縁無きを悔やまれ入られけり。翁の生前中余は面識なきも、7,8年前、余〇〇を同伴して信州戸隠に遊びしことあり。その時、車中にて、余の隣のボックスに翁あり。この時、余の瞳と、翁の瞳と合いし時、両者の気火花の如くおりしを、当時、余は不思議のことに思いたり。
 余、この時のことを翁の霊に語りたる。翁笑いおられて、帰り行かれたり。」

平一はまた、聖書で高名なパウロの神霊とも結縁しております。
 神霊日記「明玄録上巻」の昭和25年5月1日に次のような記録があります。
 その日平一は、襲ってくる病魔と闘いながら、滞納している鉱区税の支払いに苦悶しておりました。そして、思案の末、その支払いの助力を、友人の紫光会会長寺見文雄に頼って懇願の手紙をしたため、そして、西霊に一心に祈りを捧げたのです。
 すると、思いもかけずイエス霊神が出現して平一に霊教を授けて、光に包まれて去って行かれました。
 「それより余北辰に祈る。北面し祈り終わりし時、エレミヤのごとき偉人、余の前に来たり立たれり。霊体の光エレミヤよりは劣れ共高き霊なり。霊光光輝けり。古き西洋の人にして、身体頑丈にして丈やや短し。丸顔というより〇〇張りて角顔に近く、その眼大なり。頭禿げ上がりて絵に見る達磨に似たる風貌なり。
 霊格高きこの人余の前に立たれ、自ら「パウロ」と名乗りたり。
 『わが師の汝に今諭し給いしを忘るるなかれ。汝に説かれたる贖いの道(犠牲の精神)の尊きを知れ。師(シと聞こえたれど主なるか)この理念に徹し、この道を踏み給いしなり。故に師の教えの中核をなす。
されどこの悟りは、一朝一夕に来たりしものに非ず。師も苦行を通り行きて、愛を知るに及びて此処に至りしなり(苦は空なり)。苦は神、一つに有り。贖いの悟りを知れ』
 パウロかく云い給えり。」
 続いて同年8月12日には次のような記録があります。
 「『限りある身、限りなき身、汝その何れを知れる。』『二つとも、その一端のみは知っております』『汝は限りある身なるか、汝は限り無き身なるか』『私は限りある身である。と同時に、また、限り無き身である、と思っております。』『然れども、汝も知れる如く、人は永遠の彼方から来たり、永劫の未来に往く。故に現在は一瞬間なり。限りある身なるが故に、この一瞬を生かさざるべからず。汝いかにして生かすや。』余、答ええず。
 『刹那の波動に融け込む事が出来得てこそ、ーまた、限り無き身になるなり。この言葉よく考えよ』
 かく云い給いて、霊人去り行けり。北天行中のことにして、霊人はパウロなり。」