小泉宗雄・「三光太源文化研究所」のご案内

第12話(その2)2015年3月


 平成27年3月吉日


スピリチュアル エピソード 第12話 (その2) 


「ジンギスカンは源義経なり」の真実



その2 小泉平一の許に出現した成吉思汗の姿と霊言



 昭和24年9月23日、今から50年前の秋分の日のことです。
平一の許に菊池豊、吉江茂の二人の道友が訪れて、秋季皇霊祭のお祭りを行ったところ、ある霊示があったとのことです。
そこで夜になって月読大神を祈り、精神統一の行をしていると、光り輝く神霊が現れ“我、神のみこともちて汝を導かん。われは蒙古においてはジンギスカンなり。我が名を秘して仮の名をノンムと呼ぶべし”こう云われたとのことです。
その方は小づくりの細面で色白く口髭が垂れ、見慣れない服装でした。平一は「その1」で紹介したように、物理降霊会でジンギスカンが源義経であったことを知っていたので、
“恐らくこれが「汗」の装束なのだろう、”その様に日記に記してあります。


 そして、同年10月10日に、再びジンギスカンが平一の許に出現しました。
 以下はその日の日記の原文であります。


 『今朝は矢来の雨あがり、天気晴朗にして心地よし。北天に行を修す。ノンム霊人来られる。汗の正装にや、美麗なる装束なり。太刀は蒙古の剣ならずして黄金細身造りの日本刀なり。
 はじめてノンム霊人来られし夜は、資格においての御姿にてはなく、生前、源義経と名告げられし頃の姿ならんか。然して装(よそおい)のみ蒙古風を装はれしならむ。
 今再び霊人に接するに及び、その御面貌、人違いかと思わるるばかりに違い居るなり。余かって元主支配霊たる斉藤源景時霊神において、同じくかかる体験有せり。
 ノンム霊人威風四方をはらい御面て光るばかりなり。色白く中肉中丈の方にて少しく細面なり。口髭半ば白く、まことにおだやかに感ずるも、霊覚の威あたりに重し。
 “われはノンムなり。今日汝にまみえるのは、汝に助言致さんがためなり。汝は天の命を受ける者、時の波に如何にして乗らんとするか。
 北天に星座あり、万古の光を放つ。汝の「事」星座の如くゆるぎなし。自らを識らず、無になりて初めて己を識ることを得ん。汝の務めに身命を賭けるべし。我必ず汝を助けん。
 我世に在りしとき、一度志を変じ又志を断つ。故郷を捨てて異境に彷徨す。汝の苦、物のかずかは。
 万里の辺境を馳駆して我神を知りたり。神を知りて初めて大事なれり。見よ、めぐり定まりて世の地獄のはてなるとき、地の人々に自覚あらむ。満蒙の人起つべし。我又此れに志を致すなり。
 大君世に光りて?--(記憶なし)---意義又其処に存するなり。宜しく行に励み、その命畏みて、神の意うける人とならむを期せ”

 かく霊人、さとし給へり、帰り給いてより、石笛の亮々たる声のみ聞こえ来りて余韻ながく耳に残れり。』 



 平一は生涯を賭(と)した崇高な使命「天の命」を授かっておりました。しかし、これを全うするためには、物心両サイドでの贖いが課せられたのです。
 家業を任せた親族との間に諍いが生じて生活が困窮し、併せて自身と家族が病魔に苛まれて病人が絶えませんでした。又「天の命」実現のための多様なルートからの縁が、結びかけては挫折を繰り返しておりました。
 更に平一を苦しめたのは、この様な現界での苦難と並行して、幽界、霊界においては、これらの贖いを操っている魔群との戦いがあったのです。
 この様な苦難に対して、崇高な太神の恩寵として、霊縁のある力ある神霊の助力があるとのことです。
 源義経・ノンム汗霊神が平一の背後に就いた謂れは記されておりませんが、小泉の家系が清和源氏であり、平一の初学の頃の主支配霊・斉藤恒丞源景時霊神は、清和源氏の開祖・新羅三郎義光公の従兄弟に当たる方であることから、そのご縁ではないかと推察されます。
 私は子供心に、父の朝晩の祈りの中にノンム汗霊神のみ名があった記憶がありますが、何時の間にかそれが途絶えました。
 それは、この様な神霊の助力には、あたかも大学の特任教授の様な任期があるのです。期間が終えるとその神霊は去ってしまい、以降、その神霊と“?が通わなくなる”のだそうで、祈りの対象からはずすのです。
 ノンム汗霊神が、平一にどの様な助力をしてご利益が頂けたのか、そのことは不詳でありますが、「ジンギスカンは義経なり」私はこのことだけは確信しております。

                                      完