小泉宗雄・「三光太源文化研究所」のご案内

第20話2016年3月


 平成28年3月吉日


スピリチュアル エピソード 第20話

雑誌「知性」の暴挙・ 降霊会で突然フラッシュ撮影を!



  「大変なことが起きた。 降霊会で、雑誌の記者がフラッシュを焚いて竹内君が大怪我をした!」昭和29年6月14日の事でした。夜遅く家に帰って来た父が、興奮した口調でそう告げたのです。
 物理降霊会は、第七話「物理降霊会の風景と、私が助手を務めた実験会」で解説したように漆黒の闇の中で行われます。このエクトプラズムが極端に光に弱いので、夜光塗料以外の一切の光源は禁止されるのです。 
 河出書房が“戦後九年、ふたたび台頭してきたファシズムの脅威に抗して、深い祈りを込めて”と復刊した月刊誌「知性」が、“創刊号を飾るため取材したい。絶対に約束を守るから”とのことで紫光会の定例降霊会に参加したとのことですが、その記者が、無謀にもフラッシュを焚いて撮影をしたのです!
 昭和29年8月発売された「知性」創刊号の誌面には、「心霊実験は終止符を打たれた!」と云う見出しが躍り、「見破られた心霊の正体!」として、キャビネットからメガホンがのぞき、霊媒の手が見える写真が掲載されて、以下のコメントが語られております。
 「霊媒がキャビネットの中の椅子に腰を下ろすと、まず立会人に両手両足を縛らせ口に水を含み、幕を閉め、電燈を消す―と間もなく、幕の前のメガホンが飛び、人形や机や鈴やハモニカなどが次々と空中に飛び上がったのであるが、カメラマンがいきなりフラッシュを焚いてしまった。現れたのは縄から抜けた手である。幕が少しばかり開いてメガホンの一端がなかにはいっていた。」(6月14日夜・中央区新富町某所にて)
 併せて、石川雅章と云う奇術師の「心霊現象は幼稚な手品だ」とのコメントと、それを説明する写真が掲載されております。その解説では、縛られた手を縄抜けするのは実に簡単なことで、空中に浮揚したメガホンや人形は、実は手で操作している。言わば手品なのだと言っております。
 そして、この写真に関する紫光会サイドからの一切のコメントはありませんでした。
 一体これは如何したことなのでしょうか−。


 この事件の顛末を、漢学者高田集蔵は著書「心霊偶談」の中の「心霊の正体果たして見破られた?『知性』誌創刊号の心霊記事を読みて」で、以下の様に記述しています。高田集蔵は竹内満朋の古い知己で、日月神事の岡本天明が、千葉の麻賀多神社でその神示を受けた時に同行した神道家であります。
 高田集蔵は、知人から「この事故によって竹内満朋がその場で打ち倒れ、間もなく正気になり一命を取り止めたが、ために身体に大障害を来たし、爾来血尿の出ずること約一か月、二十八日目にはついに喀血、心霊実験界未曽有の椿事があった」ことを聞いて、驚いて紫光会の事務局長役の石野芳子に面会してその経緯を聞いたのでした。

 石野芳子は当日の有様を以下により説明しております。
 「審神者が祝詞をあげて、レコードを掛けていつも三分経つか経たぬかにラップが聞こえてメガホンが浮揚しますのに、その日はいつまでたってもメガホンが動かないのです。
 おかしいなと思っておりますと、突然キャビネットの中の懐中電灯から素晴らしい光が出ました。後から考えてみると、それはロームさんからの警告であったのに、私は浅はかにも、何か特別の現象が現れるお知らせかと思っておりますと、私の後の方でギーガチャンと云う変な音が致します。」
 「私はいよいよ心配になりまして『どなたか写真機を持ってきていますか』『Fさん、どなたか写真を撮ろうとしているのではありませんか、写真はお断りします』と申しましたところ、Fさんは『承知しています』と答えられました。その時、賑やかにレコードが鳴り、メガホンが3本浮揚しておりましたが、意外にも突然フラッシュを焚いて撮影されたのであります。」
 「メガホンはその瞬間下に落ちました。早速、竹内さんをキャビネットから連れ出して介抱したのです。最初Fさんたちにより縛られた通り、手足はそのまま固く縛られていました。それを又、Fさんたちによって解かれたのであります。雑誌にどんなに書かれておりましょうとも、これは間違いのないことです。」そう云って、縄抜けを否定しております。
 「後でロームさんに伺ってみますと、『竹内はあの時疲れていて、メガホンを挙げるだけのエクトプラズム(霊素)が出ていなかったのを、こちらで助けて無理に上げたのだ。急に光を出したのは、不法の撮影者のあることを知らせると共に、竹内の体が、どれほど光に耐えられるかを試してみたのだ。そして、分霊と複体とを取り出して竹内を保護してやった。カメラに映ったあの手は、竹内の複体の手である。しかし血が上(喉)から出たら生命が危険であるが、下から出してやるから心配するな。およそ一か月ばかりは下から血が出るぞ。』そう血尿が出ることと、写真に写っている手のことを教えられたとのことでした。
 そして、「まるで、だまし討ちの様に撮影したカメラマンは、お気の毒に、帰りの自動車の中で食べたものを皆吐き出して人事不省に陥り、それからズーット臥せっておられるそうです。このことはその後、向こう側の人から承りました」と言葉を添えたとのことであります。
 後日、竹内満朋から聞いた話として、「この問題は河出書房の某専務の策謀の様で、ひそかにカメラマンに銘じて不法撮影をさせた後で、陰では同氏に対し平身低頭して、賠償(?)として大金を差し出してきた。そんなものを貰ったら、この様な不法な行為を認めることになるので、突き返してやった」との顛末を追記しております。
 そして「今回の問題に対して『知性』の編纂同人、ないし河出書房から正式の陳謝も無く、一方的にこの様な写真と記事が掲載されたこと」、併せて、「せっかくこの雑誌を復刊された河出書房のめでたい門出を汚す不祥事として、私は嘆惜の念を禁じ得ない」と慨嘆しております。
 そして、河出書房は三年後の昭和32年に倒産し、知性は廃刊となってしまったのでした。
                                完