小泉宗雄・「三光太源文化研究所」のご案内

特別編(第四十二話)2022年12月A


令和四年12月吉日


スピリチュアル エピソード 特別編 第四十二話


ローム太霊がその死を哀惜された

父小泉平一の軌跡



第四十二話

平一の今一つの神業、三光太源会による門下の指導について


その2 妙義山での神事-


 毎月の斎庭の他に、特に古参の会員達が楽しみにしていたのは、妙義山での神事でありました。
 妙義山は群馬県甘楽郡にあり赤城山、榛名山と共に上毛三山と云われ、その主峰である金洞山は中之嶽と呼ばれて、4つの石門と大砲岩、ローソク岩など数々の奇岩等が山岳美を形成して、日本3大奇景と称えられております。
 その山麓にある妙義神社は、宣化天皇の2年(537年)に建立され、壮麗な社殿に日本武尊、豊受大神を始め、菅原道真、權大納言長道卿が祭られております。その裏の山道をしばらく行くと中之嶽神社があり、その横手から登山コースが開かれております。 
 一本杉を後にして、鎖に掴まりながら横歩きする蟹の横ばい等の岩場を登って、第一石門から第三石門を見て約一時間で、漸く最も壮大な第4石門と、その昔、平一が初めて乗天坊霊神に拝謁した大砲岩に辿り着きます。
 妙義山の神事は毎年5月中旬に行われ、いつも、平一とさきを始め20人程の会員が参加しておりました。 国鉄下仁田駄を降りると、迎えのバスが待っております。
 そのバスに乗って妙義神社の山門近くにある定宿東雲館に行き、そこに荷物を預けて山支度をし、妙義神社にご挨拶の参詣をして登山コースに向かいます。
 いつも北原猪義が先頭に立ち、男性会員達は年配の女性会員の手を引いたり、腰を押したりして、皆汗にまみれて第4石門にたどり着くと、その前に祭壇を設けて、妙義山乗天坊霊神と天海霊神のお祭りを行います。
 天海霊神はある時、より高位の神格を得られるための修行をされる乗天坊霊神に代わって、その間平一の守護を務められた、妙義山天狗界の高貴な神霊であります。        「乗天坊霊神が私の主支配霊の座に戻られてからは、通常ではお目に掛かれないが、この様なお祭りの際には、お会い出来るのだ」そう平一は言っておりました。
 因みに平一はこの御祭りの為に、毎回新しく奉献の文を作文して奏上しておりました。
 それから山を下って妙義神社に戻り、会員で乃木神社の禰宜である青木謙悳の、言わば顔で神前を拝借して、平一が首座となって妙義大神の御祭りを行います。
 妙義大神はこの妙義山に鎮まる妙義神社の真の祭神で、竹内満朋の守護神である妙高山鶴王大仙大神と螺をなして、平一の神業を守護しておられるとの事であります。
 御祭りが終わると、宝物殿に展示されている国指定の重要文化財等を見学したり、神主のご厚意で許された、社殿の裏にあるふきの群生地のふきを、お土産に採取させて頂いたりして宿に戻り、そして待ちかねていた直会となります。
 大広間で平一とさきが上座に、そしてお膳が2列に並びます。平一が御祭りで戴いた霊示や拝謁した神霊の話をした後乾杯して、食事が始まります。
 東雲館の名物は鯉料理で、鯉の洗いや鯉こく、山菜などが膳に並びます。直会が終わり、三々五々歓談して温泉に入ります。
 東雲館のお湯は鉱泉で沸かしですが色が茶色で、山登りで疲れた肌に心地良く沁みわたりました―。
 因みに、私が初めて妙義山に行ったのは、戦前の、確か昭和16年夏でありました。
 小泉商会も繁盛していたようで、夏休みに両親と私達3兄弟と祖母、それから次兄の道雄の乳母で、家事のお手伝いをしている針生春代の7人で同じコースを廻り、両親は店があるので一晩泊りで東京に戻り、祖母と春代、そして私達兄弟は、何と二週間程も滞在した贅沢が、今懐かしく思い出されます。