小泉宗雄・「三光太源文化研究所」のご案内

特別編(第四十二話)2023年2月C


令和五年2月吉日


スピリチュアル エピソード 特別編 第四十二話


ローム太霊がその死を哀惜された

父小泉平一の軌跡



第四十二話

平一の今一つの神業、三光太源会による門下の指導について


その4 紫光会の妙高山登頂参拝



 妙高山は新潟県高田市にある山頂2,454メートル、日本百名山の中に数えられ、北信五岳の一つで越後富士とも呼ばれております。
 先月お話しした様に、妙高山は竹内満朋の守護神であり、平一の神業の守り神でもある妙高山鶴王大仙大神が鎮まっておられる霊山であると共に、ローム大霊による紫光会発祥の地として、竹内満朋並びに紫光会にとって、又平一においても尊い霊場でありました。 
 但し、この妙高山鶴王大仙大神のみ名は世に知らされず、この大神をお祭りする社はありません。
 妙高山の山頂までの登山は難路で5時間程かかり、 2泊3日の苦行でありました。
 紫光会のこの霊山への登頂参拝は、毎年7月21日に行われました。
 三光太源の門下では桑原時雄、北原猪義、青木謙徳、山田武雄を始め岡野絹、飯浜美代子等が毎年欠かさず参加し、平一も何回か共にしたようであります。
 私は参加したことが無いので、竹内老子さん、竹内満朋の次女で、満朋が他界した後も、何人かの元紫光会の有志とこれを続けておいでの方ですが、電話でその様子を教えて貰いました。
 この登頂参拝の行事には、いつも竹内満朋、石野芳子を初め4〜50名が参加したとの事であります。
 上野駅に集合して上越線で妙高高原まで行き、常宿の朝日屋で一泊して翌日、まず関山神社を参詣してから不動の滝で禊を行い、それからローム霊団の5霊神の妙高山姥堂姥媛霊神を祭る姥堂と重明霊神を祭るお堂を、更に九頭竜大神のお堂などを掃除して夕食をとり、そして山頂でご来光を拝むために真夜中に、男性会員を先頭にして、月光を頼りに登山するとの事であります。
 その昔、どなたからの話かは忘れてしまいましたが、健脚の山田武雄は頭に炭鉱夫が使うという懐中電灯付きの帽子をかぶって、いつも先陣を務めていたとの事であります。
 5時間程で山頂にたどり着き、ご来光を仰いでお祭りをして、山頂にある玉造霊神の祠に参拝して、その洞の上から滴り落ちる神水を用意していった容器に戴き、その横にある霊土を頂いて下山するとの事であります。なお、これらは病や怪我などにご利益があるとの事であります。
 そして朝日屋に帰って直会(神事の後の宴会)を行ってお互いに労をねぎらい、好みに合わせて温泉に入って、帰途に向かうとの事でありました。
 私はこの登頂拝礼に参加したことはありませんでしたが、私が綜研の名古屋支社長を務めていた昭和40年代のある日、主護霊平沢春義霊神から妙高山姥堂姥媛霊神の姥堂に参拝して、良い配偶者が得られるようお願いする様にとの霊言を頂いて、参詣に行ったことがあります。
 名古屋に転勤していた6年間、私は東京本社への出張の時には、何とか三鷹での紫風苑を始め、浅草の桑原時雄宅での示現会、世田谷の川尻宅での一竜会のいずれかに参列出来る様に日程をやりくりして、主護霊の霊言を拝受していました。
 五十余年の前の事なので詳細の記憶はありませんが、姥堂を参詣して、大きな姥媛様の木像があったのを覚えております。
 それから重明霊神のお堂を、そして関山神社をお参りし、とても山頂迄登山する元気がなかったので、朝日屋で一泊して名古屋に帰りました。
 そのご利益を頂いたのは、それから十数年後の事であります。家内と出会って結ばれたある夜、二人の老人が会話している夢を見ました。1人は私の祖父で背後霊でもある益太郎霊人で、もう一人は先月号でお話しした、竹内満朋の祖父である妙高山重明霊神でありました。
 お二人は、私の嫁の事を相談しており、重明霊神が姥様の子孫に適当な娘がいると云われ、祖父も賛同しているようでありましたー。
 その夢を見て、私は家内の父親樋口重雄に、「お父さんの先祖は木曽義仲の家臣ですよね」そう話したことを思い出しました。
 それは、その昔に読んだ歴史書で不思議と記憶に残っている、木曽義仲の乳母の事であります。
 死後に修行を重ねて姥媛霊神になられたこの方は、生前、木曽義仲の重臣中原兼道の妻で、木曽義仲の股肱として後世に名が残る、樋口次郎兼光、今井四郎兼平、そして巴御前の三人の子がおりました。
 その樋口次郎兼光が、家内の樋口家の祖だと直感したのです。「宗雄君は良く知っているね。確かに樋口の祖は木曽から出ているとの説があるよ」歴史好きの父はそう言ったのでありますー。
 姥媛霊神のローム霊団での役割は、ローム大霊の元に集まる人々の縁を司ることであります。
 その霊夢によって、何故、福島県相馬市にいた家内と、東京に住む私との縁が結ばれたのかの理由が、その節の主護霊の霊言の賜物だと、改めて感謝したのであります。