小泉宗雄・「三光太源文化研究所」のご案内

特別編(第四十二話)2022年11月@


令和四年11月吉日


スピリチュアル エピソード 特別編 第四十二話


ローム太霊がその死を哀惜された

父小泉平一の軌跡



第四十二話

平一の今一つの神業、三光太源会による門下の指導について


その1 三光太源会の斎庭は-


 平一には豊野油田開発の神業の他に、平一を慕ってその元に集う有縁の人々の霊性の向上と、大道・神霊界の体系と実相、並びに人間如何に生きるべきかの道を教えて、各人の人生が神の御心に副った豊かなものになる様に導くという使命がありました。
 そのために、平一が79歳で没する直前まで行っていた、三光太源会の活動の事をお話し致します。
 三光太源会の活動は、毎月2回行う斎庭と、恒例の妙義山参詣、並びに紫光会のローム大霊祭と5霊神祭、並びに竹内満朋の天筆の会への参加がありました。なお、何回か茨木県笠間市にある笠間稲荷に参詣致しました。
 三光太源の斎庭には「各人の霊性向上のための精神統一の会」と、「大道・神霊界の体系と、人間いかに生きるべきかに関する講義の会」の二つがありました。
 「精神統一の会」は、初めに三光道大神を始め諸神に祈りを捧げ、そして平一が審神者となって精神統一を行います。
 この斎庭には、いつもローム大霊がお出でになって、みそなわれておられるようで、しばしば、平一を通じて一同に霊言を賜っておりました。又、隼人霊神や乗天坊霊神、平一の主護霊工藤藤嗣霊神などが霊言を下されることもありました。
 統一が終わると、平一はそれらの霊言を披露してその神意を解説し、また、平一がこの精神統一中に、幽体を離脱して神霊界に赴いて諸神に拝謁して見聞きしたり、又体験した事等を講話しております。
 「大道・神霊界の体系と、人間いかに生きるべきかに関する講義の会」では、平一が諸神からの賜った啓示、霊言の解釈と、また神霊界を巡って知り得た実相や秘事、あるいわ悟り得たこと、並びに集う人々が主護霊・主支配霊から垂示された霊言の解釈などを講義しておりました。
 尚、昭和40年の半ば迄は、しばしば麦林楢次郎が会に参加して、平一に下された啓示・霊言の解釈の特別講義を行っておりました。 
 三光太源会の斎庭が何時始まったかについて、この講義の会に関しては、山田武雄が残してくれた資料によると、昭和31年2月18日の「芸術の秘奥」の講義が、同25日には「ローム大霊とはどのような方か」講義の記録が手書きで残されており、これがスタートだったと思われます。
 なお、同年の5月26日に「呪=術の変化」の講義の記録には、「六本木北原宅で」との注記があることから、当初は同氏の家で恐らく講義だけを、それも不定期に行っていたようであります。
 三光太源の斎庭が、何時から世田谷の平一の自宅で行うよになったのか、その時期は定かではありません。
 ただし、残された資料の中にガリ版刷りの講義のテキストをあり、その中で一番古いものが昭和35年3月28日の講義に使用した「三光太源斎庭講座 第四講 イエス・キリスト霊神啓示」であります。
 恐らく、斎庭の場を平一の自宅に移したのを機会に、会の運営を整えてテキストもこのよう変えたものと思われ、この講義が第四講とあることかに、その時期は昭和34年の暮れではないかと思われます。
 そして、それを機会に、精神統一の斎庭が始まったものと思われます。
 参考までに、その時に配布されたテキストをご紹介いたします。

 「イエスキリスト霊神の啓示

 之は昭和31年5月5日、同32年5月5日小泉先生がイエスキリストの神霊にまみえて直々に賜りたる啓示である。
                              三光太源斎庭講座第四講

昭和31年5月5日 イエスキリスト霊神啓示

 我が通りしナヤの道は迷いの道なり悟りの道なり。
 精霊我を導きてその道に贖いつつも、なおそが悟り身につくこと能はざりき。
 幻あり我が前にありていう。「汝は神を證しうるや」と。我「然り」と答えたり。
 その道いで汝もまた精霊によりて導かれたるは、いかに険しくとも行き行かばその證しを得ん。
 道はかく有り、身も心も天に捧ぐべし。選ばれし者の選ぱれた道として、その門通り得るものなり。
 汝のみの為にはあらず。下されし神の思ひその胸にうけよ。

昭和32年5月5日 イエスキリスト霊神啓示

 道遥かなれどまた近きにあり。人々道を知るも道を知らず。これ何時の世も同じなり。我世にありし頃諸人の悩みしを見て、我が悩みとして悩みたり。神を知るも神を知ること能はざりき。
 知るは安く悟は難し。そを身に付くるはなお難しかるべし。されど苦より苦を求めつつ、苦によりて我もまた悟りを身につけ得られしなり。
 人は常に苦しむを好まず、苦の光を知らざるが故なり。
 光を求めんとせば。その道を求めよ。汝も又そのものによりて神に至るべし。
 かくある道の尊きを覚りつつ、人々導きてみ心に応え行くべし。神のみ愛を受け入れらるる人となられよ。                      」
 なお、平一は時折、その詳細は不詳ですが桑原時の依頼により、浅草の会と称して、時雄の自宅で行なわれる竹内満朋の物理降霊会・自現会の会員に対しても、同じ講義を行っていたようであります。