小泉宗雄・「三光太源文化研究所」のご案内

第16話(その1)2015年9月


 平成27年9月吉日


スピリチュアル エピソード 第16話 (その1)


キティ台風の中心に!

小泉平一の日記に残された台風の意義


第一話 古代霊アム王に伴われて、
     台風を司る神の許に―。


 今年も台風のシーズンになりました。例年、台風のために田畑や山林、家屋や施設が倒壊したり、洪水により交通網が破壊されたり、そして尊い人命迄失われるなど何一つ良いことがありません。
 毎年、必ず決まったシーズンに我が国を直撃するこの天災、何か良いことがあるのでしょうか?

 小泉平一は奇しき使命を授かり、そのための行業の生涯の中で、様々な神秘体験を重ね、後生のために丹念に記録を残しました。これは、昭和24年8月31日の日記であります。

 いささか長文ではありますが、全文をご紹介します。


  「朝来より新聞、ラジオにて今夕よりキティ台風関東より上陸の憂いあり、警戒を要すとの報道あり。
 午後2時ごろに至り、風雨盛んにして暴風雨と化せり。夕刻に至りて益々荒れ狂い、電灯は消え暗黒の地上は風雨神の荒れ狂うに任せたり。かねての報道によれば強風三十メートルに及ぶとのことにして、ものすごき事限りなし。
 家族一同、奥六畳の間に集まり、ローソク中にして警戒しおれり。」
 この時霊感あり、『汝に見せ置くものあれば統一に入れ。』 余、応接間にて月読みの大神に対し統一せり。九時なり。風雨荒れ狂いて、ガラス戸今も吹き飛ばされんばかりなり。始めの内は、ただ何となくもの恐ろしく覚えしも、暫くして真の統一状態に入れり。
 この時、余の前に立ちし霊人あり。かつて余、霊界グラマアヤ界に行きし時、余を案内せられし霊人なり。
 『余につきて来られよ』と云われ、二歩、三歩窓近く霊人歩みぬ。余、霊体にて霊人の後に従う。霊人と余、窓を透過し一歩一歩空に昇る。何やら軽き足応えありて不思議なるものなり。
 外は暗黒にして嵐たけり狂い、樹木今にもおれんばかりの物凄きなり。ゴウゴウたる風の音、大滝をさかしまにせし如き雨、言葉の外なり。
 霊人の発する光に導かれ、連れられ空に昇り往く。この時は、嵐の中に居るも別に恐ろしき感じ、感じはせず、風も雨も別に霊身に障らざれば他人事の如く思はる。ただ、暴風の?のみ肉体にて感じる程までも無きも、やはり感じるなり。
 何処まで高く昇りたるか知らざれしも、かなり高き所なるべし。足下より地上眺むれば、地上にて地上見るとこと変り、地上薄く明るく見ゆ。高山の頂きより、地上を眺める如し。」

 「この時、霊人と入れ違いにアム王下り来られ、それよりアム王に伴われて、なお中空を上に上にとfり行く。霧とも煙ともつかざるものの中に入り進む。或いは、雲の中を進むなるべし。
 行き進むにつれ霧煙の密度深く、あたり冥晦にして○○<判読不詳>も弁じ難し。ただ、アム王の霊身より発する光に導かれるのみ。
 いかほど歩みしか知らず。前方を見れば一団の光炎あり。余等はこの光炎目指して進むものの如く思われるなり。この時アム王余を顧みて『彼方に見ゆる光炎あるところは、すなわち、今、汝の乗れる嵐(キティ台風)の中心なり。』と云わる。思はざりき。余はキティ台風に乗れるなり。
 光炎に近づき見れば、その中に神霊在まし、御手に剣の如く思わるる物縦横に振りふりて、足ふみとどろかし、何物かを叱咤指揮せらるる様なり。
 余等、一歩一歩と近づき見れば、その神霊、御年若く御面少し細表にて、色雪の如し。御面、実に美しくも又雄々しく、凛々しく勇ましきこと限りなし。黒髪、○○<判読不詳>の如く長きを、前額の真ん中より左右に分け、額に細き美麗なる金紗の布にて鉢巻となし、後ろに鉢巻の結び目、二筋長く垂れたり。御着物は色忘れたり。御手に持てるはやはり神剣なりき。
 アム王『此れ、この嵐を司る神なり。汝の今日の祈り、神に届きし故なり。』と云わる。余、この神霊を拝し、この嵐、速やかにしずまり、人畜に禍なき様祈りたり。
 この神、『これ、天の命なり』と云わる。アム王『禍は人これを呼ぶ。世穢れ、人心すさみたる時は、天変降る。又人これを呼ぶなり。自然なり』と教えられたり。」

 「神に礼して余等はここを去る。何とは知らず、ざわざわと人の走り飛ぶごとし。されど姿は見えず。この神の眷族ならむ、何かしきりに働くものの如し。今度は少しずつ下る。Kき気流、物凄き迄に幾重ともなく渦をなして、電光はためきわたれり。
 雲の切れ目に出て下方遥かに見れば、地面、後ろに跳び行くが如し。一段降りて余等又上に上にと歩みfる。?の山稜を昇り降りるに似たり。
 何時しか暴風圏より出ず。なおも空の上層へと導かれ昇りゆく。幾重の雲に入り、雲より出でて最早この辺り、一辺の雲も無し。天だだ静寂、気,透徹、物凄き迄の静かさなり。四面の景色、色、明らかにして鮮明、寒気骨をさす如し。
 なおも上がりゆく。『もはやこの辺りは空気なし』と云わるる。見れば四面にて星座明らかとも明らかにして、半輪の月皓々。下方は雲とも?とも霞とも判らず。遥かに霞て、白銀色に光り輝く。又月明における雪を見る如し。地上にて見る月や星と変わりて、何れも大なり。この景色、余の想像を絶す。
 それより北に向かいて進む。今度は飛ぶが如く、走りたるが如くして、途中の景色余に記憶なし。ただ、滑り降りしものの如く覚ぼゆ。
 ふと心づきて見れば、下方遥かに海なり。あたりの光景、東雲か、又は夕方の景色に似たり。太陽薄雲より光を放射して、あたり臼暮なり。海の色紺青なるもあかね色に輝きて、紅色の真珠撒き散らせるが如し。目もあやに美し。
 余等、なおも進みゆく。脚下遥かに島あり。小さき島を伴う。島が上方緑なれば草木あるならん。『この地は北極なり。汝に見ゆる島は霊界の島に非ず、現界の島なり。良く見ておくべし』と霊人余に教えたまえど、それ以上は語り給わず。
 余、北極は氷の海にして、人間の常識より云うも島に草木ある道理なし。しかも脚下に見ゆる島は、氷島に非ず。大いなる島とは言えざるも、緑鮮やかに見受けらろれば、樹木なるべし。如何なる様かと思えり。その時霊感ありて、北極の中にも海潮暖流あるべしと思えり。
 これより、アム王に送られて自宅に帰り着きたり。統一より覚めれば、外は暴風雨漸く極点に達せし如く思うばかりの荒れ様なり。」

 なお、欄外に
 (北極と云えども、真の北極に非ず北極に近きところの如し。その他、多少霊人より話されと事あるも、今は記憶に残らず)
とのカッコ書きが残されていました。

 この様に台風は、人間が引き起こす罪穢れが呼ぶとのことですが、別の折に、主支配霊・妙義山乗天坊霊神から「台風は天地の禊でもある。」とも教えられています。
 神道の禊、キリスト教の洗礼等は、水により罪穢れの祓いです。大地の穢れやその地に充満した悪?を、台風により洗い清めるとなのです。そして、津波にも同じ働きがあるようです。因みに、火山の噴火は“火による禊”、地震は“土の禊”とのことであります。
 これらの天災は、何れも地球の存在を支える環境条件から不可避ではありますが、それらの災厄を、「大難を小難に、小難を無難にするのは人間なのだ」平一はそう教えております。
 
 なお、この時平一を導いたアム王と云う神霊は、どの様な方だったのでしょうか。
 それは来月、この第2話でお話しいたします。
                                    以上