小泉宗雄・「三光太源文化研究所」のご案内

特別編(第二十三話)2019年5月


令和元年5月吉日


スピリチュアル エピソード 特別編 第二十三話


ローム太霊がその死を哀惜された

父小泉平一の軌跡



第二十三話  「紫光会」でのローム太霊祭と

        5霊神祭について



 平一が毎年心待ちにしていた紫光会の定例行事に「天筆の会」と「ローム太霊祭」、そして「5霊神祭」がありました。
 毎年1月10日に石野宅で行われる「天筆の会」のことは、既に平成29年1月のスピリチュアルエピソード第28話「紫光会で行われたフーチ・天筆の会について」でお話しいたしましたので、今回は他の2つの神事についてご紹介いたします。
 「ローム太霊祭」は何時から始められたかは不詳ですが、毎年4月半ばの日曜日に、中央区の木挽会館で行われました。
 会場に神棚を設え、竹内満朋が神主の装束に身を固めて笏を持って神主を、青木謙悳が同じ装束でその補佐を務めました。
 参列者は普段は百五六十人で、紫光会を始め平一の三光会、菊池豊・川尻和人の一龍会、桑原時雄の自玄会、青木謙悳の菁龍会等、竹内満朋のそれぞれの 降霊会の会員達でしたが、その他に関西や九州等各地からの参集者もおりました。そして来賓は何時も小田秀人一人だけでした。
 降霊、全員による祓いの祝詞に続いて、竹内満朋、石野芳子そして平一が、それぞれ創り上げた祝詞・感謝の言葉の奏上がありました。
 竹内満朋の祝詞は文語体でしたが毎回ほぼ同じ内容のものを、芳子はその都度話し言葉で創り変えた感謝の言葉を捧げておりました。
 一方平一の祝詞は、毎回流麗な文語体で言葉を練り上げると共に、それを荘重な声で朗々と奏上し、それを聞いて参列者は、皆一様にローム太霊の威徳に思いを致すのが常でありました。平一の祝詞については、別途お話しいたします。
 そして、ローム太霊の御名の奉唱に続いて、芳子が授かった五十鈴の行に因んで打ち鳴らす鈴に併せて真言の奉唱がありました。
 終わって直会となり、お弁当が配られお神酒が回され、そして皆が楽しみにしていた福引となります。
 福引の品は、概ね会員達から寄付されたもののようですが、それぞれの品に番号と名称、そしてその品に纏わるコトバが添えられておりました。コトバは石野芳子と吉江るり子が数日かけて考えた労作でした。
 福引の札の入った袋が回され、各自引いた札の番号と、書かれている言葉を読み上げると、品物が世話役の吉江るり子から渡されるのです。

 今一つは、ローム太霊霊団の隼人霊神、妙高山玉造霊神、妙高山姥堂姥姫霊神そして岩崎霊人をお祭りする5霊神祭で、11月半ばの日曜日に同じく木挽会館で行われました。
 祭事は太霊祭と変わらず執り行われ、同じ様に福引がありました。幸い私の手元に、昭和57年11月7日に行われた時の福引の記録が、幾つか残されておりましたのでご紹介いたします。

103番 道は近きにあり 一日一善     「割り箸」  平一
  8番 支えてくれる者なければ身が立たぬ 「ロウソク立て」 宗雄
 74番 君は君、吾は吾されど仲が良い 「キャンデー」 岡野絹
106番  適材適所はそのものを生かす   「塩と砂糖」北島いよ
 76番 悪霊のとりこになっては気もめいる。
      気分一新良い知恵も沸く     「香木」  青木秀 

 その他に、頂いた人の名の記録はありませんが,次の様なものがありました。

81番 汚れは後から追いかける。
     禊して身心洗い清めよ       「晒一反」
31番 今の喜び家の者にも分けてやれ   「ジュース6本」
96番 旅のお供にこれがあればまず安心  「傷バンド」
92番 良いこともせぬのに頂く神の恵み   「お神酒」 

 それぞれ3時間ほどのお祭りでしたが、その都度、身心が洗われる思いが致しました。
 これらの祭事が何時から始められ、いつまで続いたのかは分かりませんが、石野芳子が昭和54年6月に、平一が58年5月に没してからも、青木謙悳や吉江るり子の働きで何年か続けられました。
 そう言えば、青木謙悳の計らいで、平一が没した年のローム太霊祭では、前年に平一が奏上した祝詞をテレコで再生して奉納し、それを聞いて皆が大変感激したことが今懐かしく思い出されます。