小泉宗雄・「三光太源文化研究所」のご案内

特別編(第二十九話B)2020年6月


令和二年6月吉日


スピリチュアル エピソード 特別編 第二十九話


ローム太霊がその死を哀惜された

父小泉平一の軌跡



第二十九話

神霊が教えた平一のルーツと使命



その3 “超古代文献「津軽外三郡誌」が
      伝える長髄彦の行方は−”


 話は変わりますが、平一の心霊日記「幽妙抄」・昭和21年5月7日に、次のような霊言が記されております。神霊の名は記されておりません。

「そのかみのふることぶみ、みちのくの、かくやのさとにうずもれあり。そは、よにいだすべきものなるに、いまだひとをえず。いまし、このことこころしてあれかし。
ちかきときときをえば、いましほりいたすべきつとめあり。むつきなかば、いましにしらさむ。
われはそのかみ、このふみもりありしもののすえ、よにいださんつとめあり。ひとをえずしてなやみおりし、いましときをえて、いましにしらせんことうれし。
くにのたからぞ。それえなば、ふるきよきことともとけん。ときほとくすべいましら〇〇。こころしてあれかし。わかなときをえばなのらん。」

 「陸奥のとある所に、古き世のことを記した書物が埋もれている。自分はこの書物を守っていた者で、この世に知らせる務めを持っている。今、お前に知らせることが出来て嬉しい。3月半ばに場所を知らせるから、掘り出して国の宝とせよ。」そのように言われたのです。
 ところが、その後日記を調べても、続く霊言が見当たらず今日に至っております。
 そこで思い浮かんだのは、竹内文書、宮下文献、上記(うえつふみ)などと並んだ超古代文献「津軽外三郡誌」であります。
 この超古代文献は、青森県五所川原市の和田喜八郎が、昭和24年自宅を改装中天井から落ちてきて発見したとされる、数百冊に及ぶ膨大な古文書で、古代津軽地方(東日流)に、大和民族から弾圧されながら栄えた民族の文化があったと記されております。
 この資料は、秋田孝季が、安東氏の後裔の秋田氏が藩主の陸奥三春藩から、大火のため消滅してしまった資料の復活を命じられ、寛政年間に娘婿の和田吉次(喜八郎の祖)と菅江真澄の協力を得て資料の収集と諸国の調査を行い、その成果を和田家が保管していたとのことであります。
 この文献で注目するところは、「神武天皇が日向から大和に東征した頃、津軽では中国の晋の献公に敗れた群公子が渡来して、この地で栄えていた津保化族を滅ぼし荒羽吐族と称していた。
 その津軽に、神武天皇により征伐されたとされている長髄彦が逃れ、群公子の娘と結婚して津軽丸と称し、大和朝廷と多様な関わりを持ち、その子孫が安倍貞任から安東氏に至った」と記されている点であります。
 先にご紹介した昭和31年2月22日の霊言に、「古代バビロニアの一つの支族が崩壊して東方所々に流れ、この国にも入り、東北地方に散った。アベ氏もその一つである」とあります。
 長髄彦が津軽に逃れたのは、このことを言っているのではないでしょうか。