平成27年4月吉日
スピリチュアル エピソード 第13話 (その1)
主護霊から暗示された寿命と一生の予言、
そして延命して頂いた神慈について
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第一話 これがお前の一生の予言である。
それはもう三十余年も前のことです。降霊会で私の主護霊・平沢晴吉霊神が「これはお前の一生の予言である。日々神前で唱えるようにー」と、次のようなコトバを云われました。
「さん どう そう みゃく らく がつ じつ こう い せん し らく
@三 A宗
こう りつ きょう ひ こう へき りょう む こん さん ぺき
B幸・功 C壁 D了・凌
しん ずい う ん さ べ よう とう む すい こ こん せん
E頭・統
り ばん とう いっ しゅん せき りょう かく しん こう にん
F里・離 G幸 H忍・任
いっ てつ さく りょう い い せん とう しん しん はく
I一 J両・了・良 K進・神 L進・賑
へき む りょう い しん さい けつ ぶん りょう とう じ 」
K済 L血・穴 M文・分 N辞
一体何を意味しているのか分からないままに、それから日々の祈りの中に加えましたが、多忙に追われて何時しか途絶えてしまいました。
降霊会での主護霊や主支配霊の霊言は抽象的なことが多く、更に時折、この様に文語体による難解なコトバがありました。それは、人間には天命と運命が与えられてこの世に誕生し、天命は変えることが出来ませんが、運命はその人間の行いで色々と変化するとのことです。そして人間には、どの様に生きて行くかの自由裁量が与えられているのです。
主護霊は、守護する人間が、生まれた時に持っている運命をご存じなのですが、その中での幸運の獲得方法や、不幸や不運への対策などを、具体的に明言することがタブーになっています。
そのために、特定の願望を叶えたり、あるいは災厄を免れたい時は、“この様な行業に励め”等々と諭すに留まると共に、時として難解な霊言を垂示されて、その中から真意を理解させることが限界だったようです。
私の父・平一は、門下生達の、そのような霊言を解釈して教えるのを常としておりました。所が、このコトバについては、何回か催促したのですが“もう少し待つように”と言って、教えようとしませんでした。
後から思うと、この霊言の意味が分かっていたために、それが息子の寿命に関する事だったので、本人の解釈に任せようとしたのでした。
昭和57年に父が帰幽したある時、主護霊が 降霊会で唐突に
“宗雄、あの言葉が幾つあるか数えたことがあるか”そう云われました。
その時、はっと気づいたのです、“そうか、その数が私の寿命なのだ”と。その数は69ありました。そこで初めて、言葉に色々な漢字を当てはめてみました。すると、幾つか思い当たる漢字があるのです。
始めの「@三は、私が三男として生まれ」「A宗は、自我が形成される3歳で、末っ子でありながら小泉家の跡取りになること」が決まったようです。
10代での「B幸・功は、区立中学入学の際のクラス分け試験で一番だったこと」「C壁は高校卒業の時、家庭の事情で進学が叶わず、就職の道も塞がれて悶々と過ごしたこと」「D了・諒・凌はその運命の壁を乗り越えたこと」
30代では「E統・頭は勤務していた綜研の名古屋支社長に任命されたこと」「Fの里・離は、名古屋を離れて東京本社に転勤となったこと」等々でした。
40代での「Gの幸の年に、思いもかけず土地を譲渡されて家を新築し」「H忍・任の年に父が帰幽して、悲しみに耐えながら全てが任せられ」「Iの一は、母が老人病院に入院し一人暮らし」となってしまいました。
昭和58年の父の帰幽により、病身の母のことも、地下資源開発の神業も、大道の後世への伝承も、何もかも私に託されました。
更に、昭和59年の春に竹内満朋が病で倒れて 降霊会が開けなくなり、頼りとした主護霊の霊言が途絶えてしまいました。しかし、落ち込むと時々、自分で“神様からの飴玉”と云っている神慈を頂き、励まされたのでした。
50代になり「J了・良・凌で漸く独身生活を終えましたが、勤務先の複雑な事情から、単身、無茶な条件の元で企業の発足を余儀なくされ」ました。ところが、思いもかけない方々から、奇跡の様なビジネスチャンスを頂き、数年間で企業基盤確立を果たすことが出来ました。「KLの神・進・賑はその有様を示しております。」
しかし「K済の年に地下資源開発の契約が終了」となり、「L血・穴の年に、悪性胃癌が奇跡的早期発見で開腹施術を」、「M文は『知られざる物理霊媒竹内満朋』がムーミステリーコンテストに入選」しました。
そして「H辞で、株式会社綜研情報工芸の社長を辞任したのでが、当初はこの世との辞任・帰幽の辞」と思っておりました。
50代も後半になると、時折このコトバを思い出して、云い様の無い不安と、託された使命をどのようにしたら良いのかの焦燥感に苛まれました。しかし、幸か不幸か、日々会社経営に追われて、何時しか歳月が流れました−。
そして、私は来る6月では79才となります。予言された運命での寿命を10年間、伸ばして頂いたのです。
どの様にして延命がなったのか。それは第二話でお話しいたします。
完