小泉宗雄・「三光太源文化研究所」のご案内

特別編(第四十四話-27)2025年10月


令和七年十月吉日


スピリチュアル エピソード 特別編 第四十四話


ローム太霊がその死を哀惜された

父小泉平一の軌跡



第四十四話

三光太源会で平一が、門下に教え諭していた

ことはー


その12 天霊神について 続きその8


 今月も引き続き、天霊神の行門についてお話し致します。

第47門

 この殿は青黒いもので塗ってあって、支那の様な赤い毒々しいものとは異なった青黒いものは、かえって陰惨の様な殿に見える。
 正しくこの記録所に入って報告なし、この殿の有様をその案内神に聞くと、今迄に皆に話した妖精の製造よりも、もう少し大きいもの、要するに、妖怪変化と云う様なものの製造元がこの殿で、その外の色も内もその青黒いものによって塗り固められ、そこにおられる天霊神の方々は、その妖怪変化の見本みたいな顔されているのだ。
 ところで、この四十七門にこの妖怪変化の製造元を置いたかと云うと、前の四十五門の時にあったように、陰の方に行くものには、強き力を与えられると話したが、そういう所に力つけられたる、命令されたるものが、この殿における自分の創造の最高を以て、人間以外の者の製造をこの所に於いて、神人並びに奇鬼神の高級な小部分のもの、叉天霊神そのものが創造されたる力によって、一つ一つその見本を創造される。創造されるとたちまち、あらゆるものそこに実現してくるわけなのだ。
 例えば人間を主題にして、あらゆる動物を創造する場合、叉動物を主体として、あらゆる昆虫をそこに植え付ける場合、あらゆる昆虫を元として、植物の精をそこに混ぜ合わせ、混ぜ合わせする、また細菌そのもと妖精そのものとの結合による創造、そういうものが、云わば数億の見本が展開されるわけなのだ。
 そしてその、あらゆるところの変化の力を具えたものが、如何にして自分に対抗する陰の力に、勝とうとなすかという術の試練場と思えばよい。
 この陰の世界に於いて、全て本性は中々現わさぬものの、全ての各動物は、植物も人間の姿をもって現わされており、この姿が最後の希望として彼等は努力している。
 またその姿に○○変化なしているが、これが力と力の争いとなると、自分の本性を現し、一方が馬の顔で人間の身体をなすなれば、他方は、人間の身体でライオンの顔になるという様な力を互いに出して、その相手の陰を自分の手下になすべく努力なすものなのだ。
 これにより、陰のあらゆる魔王となる資格が、天霊神の半面に備え付けられるのだ。だから神人を先におき、天霊神を次ぎに置くのは当然のことで、変化は出来るが、陰に対する力は見えられないのだ。
 恐らく神人が、陰に於いて力現す時は、その天霊神と同格の資格となり、彼らのバク(ヤミの事)の中に抑えられたことになるのだ。
 これが叉、各室の中に沢山おられていて、此処におられる間は天霊神なら、自分の創造のものを造られているが、一度ここより出でたるときは、その変化を本当に現わされるものなるかを、考えておかなければならない。
 だから今迄の、ばい菌の妖精の製造と異なって、此処に数段上がりたる天霊神がかく行わせられたのだ。要するに、陽と陰にある陰に対する力を造るために、そこの行されているのだ。
 この力を神界の外廓、霊界・幽界、現界を不問、あらゆる網の目の届く限りの網によって、その変化の法が行われていることを関知してもらいたい。
 であるから、全ての人間もそこにこの四十七門の〇を覚り、心の中に常に陰と陽が存在している、即ち反面なれば菩薩となり、反面になれば夜叉になる、常にこの心は人間の中に与えられたる陰陽のものだ。それを克服して行くのが修行なのだ。
 それは相対ではなく、一本になる所謂天法中立の人となるべく、修行しているのが皆なのだ。
 だから皆は、正義に対する力は強い。しかし、悪に対する力は実に零だ。それはそれで良いとは言えない。悪は悪と知りつつ、これに猶輪をかけて、自分が悪に対する力を備わらざれば、人間として一人前とは言えないのだ。
 これを知りつつ常に進む道が人道の元一本と云いうる。
 これが四十七門なのだ。そのためにこれが、沼によって囲まれた一つの島になっていることが、即ち塀で囲まれた島になっていることがわかるのだ。
 そして、この塀が如何にも宏大なのだ。これは一つの想像・創造の力で作られた妖怪変化を、その力の半門で抑えていないと、他に影響を及ぼすので、この半門と沼によって囲まれていることを覚えてもらいたい。
 今度は真直ぐに四十八門に行くのだから、今や空動なして空行に移り、その沼を超えて四十八門に行った、
                              続く