小泉宗雄・「三光太源文化研究所」のご案内

第15話2015年8月


 平成27年8月吉日


スピリチュアル エピソード 第15話 


夢の中で竹内満朋師から頂いたエネルギー、
恐らくそれは―



 酷暑の日々、皆さん如何がお過ごしでしょうか。汗っかきの私には、夏場はタオルのハンカチが必需品です。これを忘れたらさあ大変!必ずズボンのポケットに入れて、汗をぬぐいながら月曜と水曜は、まだ大門にある会社に出勤しています。

 もう三十余年も前のことです。私は市場調査機関・綜研に勤務していました。30代の6年間、赤字の名古屋支社立て直しを命じられて何とかその任を果たし、昭和47年6月に東京に戻ってきました。

 ところが翌年、第一次オイルショックが日本経済を直撃し、会社はさあ大変!そこで今度は、かってのメインクライアント・大手広告代理店での売上シェア復活を命ぜられました。同社がリサーチ専門の子会社を作ったために、総研のシェアが大幅に落ち込んでいたのです。
 取り敢えず担当部局にご挨拶に伺い、足しげく通いだしました。そして、何とか声をかけて頂ける方が増えてきましたが、当然のこととは云うものの、引き合いの多くは子会社が難色を示すプロジェクト、例えばスケジュールがタイトだったり、予算が合わなかったり、リサーチの規格外の様なご相談等が大半でした。
 どの様な業種でも似たり寄ったりと思いますが、私が持ち込むその様なオーダーに、実施部門は好い顔をしないばかりか、拒否することも度々でした。
 しかし、それらのニーズにお応えしなければ、綜研と、そして私自身に対する信頼を得ることは出来ません。そのために、自分自身で、あるいは直接ネットワークを駆使して、何とか対応しました。
 併せて、広告ディレクター講座と云う通信教育を受講し、懸命に広告やPRの勉強をしました。その様なことから、多忙な日々でありました−。
 
 それが何時だったか、兎に角今年の様に暑い夏の夜でした。疲れ果てて自宅に帰り、でも明日提出しなければならない企画書を何とか作り上げて、布団に転がり込み、泥の様な眠りに落ちました。

 それが何所であったか、見覚えのない街中でばったり竹内満朋師に会いました。
“叔父さん”そう声をかけると、“おう”と軽く手を挙げたのです。“暑いですねー、叔父さん、ビールでもいかがですか”酒好きの叔父は、ニコニコして頷きました。
 ところが、次の瞬間、なんと竹内満朋師が山伏の姿に変わったのです。顔までははっきり覚えておりませんが、白衣に黄色い袈裟を着て頭に頭襟 (ときん)を被り、結袈裟を付けて錫杖を持っていました。
 “え―”私は思わず驚きの声を挙げました。すると、その山伏は私の後に廻り、両手の平を併せて人差し指で剣を創り、私の腰に当てて“エイー”と掛け声を掛けました。すると、灼熱のエネルギーの様なものが脊柱を通じて首に駆け上がり、そして全身に広がったのです!。
 そこではっと目が覚めましたが、身体の中にへばりついた疲労が、そのエネルギーで吸い取られたような爽快感は、今でも思い出されます。そして直ぐ、再び眠りに落ちましたが、さわやかな早朝を迎えることが出来ました。

 夢に出てきた竹内満朋師は、恐らくは重明霊神の化現でありましょう。重明霊神は竹内満朋師の祖父で俗名竹内喜八郎、ローム霊団の使神として、太霊の門下の人々の健康や身体の悩みに力を添える役割を持っておられます。
 生前、妙高山山頂への道を開かれたとのことで、あるいは、山伏の修行をされたことがあるのかもしれません。
 恐らくはローム太霊のご指示により、この様に私を元気づけて頂いたことと、今でも有難く感謝しております。

                                      完