小泉宗雄・「三光太源文化研究所」のご案内
令和三年4月吉日
スピリチュアル エピソード 特別編 第三十四話
第三十四話
平一が奏上した祭文・奉献の文について
その3 新年の三光道太神の御祭りの奉献の文
この様にして紫光会が発足してから、平一が没した昭和57年迄に三十余年の歳月が流れ、その間、毎年ローム大霊祭が執り行われました。平一は恐らくその大半の御祭りに参列して、奉献の文を捧げ続けていたものと思われます。
加えて紫光会では、やはり毎年11月中、下旬の日曜日に、ローム霊団の筆頭である隼人霊神を初め、玉造霊神、重明霊神、姥媛霊神そして岩崎霊神をお祭りする5霊神祭を、同じ京橋会館で執り行っており、平一は同様に奉献の文を捧げております。
次に平一が最も心を尽くしたと思われる、新年の三光道太神の御祭りに捧げた奉献の文をご紹介いたします。
「昭和42年1月8日 三光道太神 大祭 奉献之文
掛巻もあやに畏く、掛巻もいとも尊き三光道太神、高天原に天照し在しまし、神威四天を被いて、万物を生成し給い,以て萬象を三光の大神光に現し給えり。洵にもってあやに畏き神業(みわざ)かも、洪大無量の神恩何に比べ奉るべき。
悠遠大道の淵源,恭々しくも尊貴根元に引き奉り、今の世に紫風紫光の道となして、辱なくも慈恩の壁門を配し給い、以て霊悌となし、無ニの光輝を賜りしなり。
命をもちてローム大霊、因縁霊縁の人々を拾い集め、四天の螺旡に育み給い、辱なくも命を示して、力を法、道、術の大教に洗い給へり。以て平一の手に託し給いぬ。御心に額き,猶も力を傾け、丹心導きていつの日かや、必ずや金糸、銀糸に織なさんを期し、奉るなり。
余光、平一に及びては、麦林を以て幽玄の秘巻を展べさしめ、三光の太源たるの所以を訓し給い、未聞の大命に寵栄の行業を副え給いしなり。
隼人霊神、畏くも幾難関を導かせ給い、行業ここに積みたれば、大霊辱なくも鵬泉の力を下賜し給う。以て忝々しくも東聖の神恩を拝し、積願、東現の開門を賜りしなり。
然るに贖浄、神慮に未だ叶い奉らず,至誠及ばずして、終に地門を開き奉ること能はざりしなり。悲嘆、側々として胸を打ち、慚愧の涙襟を伝う。
然りと雖も、世界洵に非常にして、人心の暗迷日々に深し。開門の大事、一日の忘却も許されず,豈夫れ一身の為ならんや。各人、その命を神業に反省して、襟を正し,螺道回帰の大法に贖い,悔恨をぬぐいて更に心身をすすぎ、以て今年の行業に勇躍、真の開門を願い奉りて、御心に仕えざる可らざるなり。
今日以て、平一が手足、門下の人々、誓いを改め、今大前に拝跪し有り。太神を始め奉り、祭神諸神宜しく御覧ぜ給い、神力を垂れさせ給わんことを伏してこいのみ奉り、恭々しくも三光の大神光を仰ぎ奉り、崇め奉りて、以て年初めの謝恩の大祭に仕え奉るなり。
昭和42年1月8日
三光太源 小泉平一 謹言 」
此処で、地門開門が果たせなかったとお詫びしているのは、前年の12月12日、豊野油田開発を提携した石油資源株式会社による試掘が、出油を見ることなく、松代地震の為に堀留を余儀なくされた事であります。
掘削地点の決定は、石油資源の科学的調査によって行われ、神慮ではなかったとの事でありますが、平一を始め関係者一同の落胆は非常なものでした。
自らを始め、関係する人々の勇気を奮い起こす、その様な御祭りの奉献の文でありました。
完