日赤病院で出会った男の浮遊霊の話 |
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私は8月に、広尾の日赤病院で進行性大腸がんの開腹手術を受けました。春の人間ドックで潜血反応を指摘され、重い腰を上げて大腸の内視鏡検査を受けたところ、“内視鏡手術の段階を超えている。即入院”と言われて愕然としました。
12年前に胃がんを、4年前に舌癌を患い、いずれも奇跡的な早期発見だったので大事に至りませんでしたが、今回は−と内心多々思うことがありました。しかし、幸いなことに他に転移が無く、2週間足らずで退院することが出来ました。
数年前に改築された病室は広々として明るく清潔で、12年前に胃がんの手術を受けた当時とは大きく様変わりしていました。そして、変わったのはそれだけではありませんでした。以下は、12年前の出来事であります。
私の病室は、何故かしばしばガタガタと音が鳴るのです。始めの内は、隣に備品室でもあって、人の出入りが多いからではないかと覗きに行きましたが、両隣とも同じ病室でした。“おかしいな、何でなんだろう”。でも、いつの間にか気にならなくなりました。
胃の三分の二を削除した開腹手術を終えて病室のベッドに運ばれ、まだ多少朦朧としながらテレビをつけたところ、目に飛び込んできたのは9.11事件のあの惨劇の映像でびっくりしました。
それから10日余、術後の経過が順調で、もう一週間もすれば退院できると言われてほっとした、秋のお彼岸の中日の出来事でありました。朝から無性に春情で胸が疼くのです。我ながら可笑しく、しかしその気分を持て余した末に、ロビーに週刊誌が置いてあるのを思い出しました。“多分、ヌード写真が載っている筈だ−”。
掲載されていたのは、当時将棋界を騒がし、中原名人と取りざたされた女流棋士Hのカラーヌードでした。中原名人のファンだった私は、女性としての魅力をうんぬんする以前に、そのスキャンダルに不快感をもっていました。そのためか、Hのその写真を見たとたんに、ふーと胸の疼きが消えたのでした。
夕食後、病室で一人彼岸の祭をしました。彼岸や盆には、米水塩と供物を供えて、私と家内の亡き両親を初め、両家の祖霊並びに縁の深い御霊を招霊しての祭を常としております。病室なので供物類は省略しましたが、いつものように御霊の向上と、併せて、私の手術が無事終わったことの報告とお礼を申し上げました。
ところが、その祭が終わった直後に異変が起こりました。初秋のさわやかな病室の空気が、急に梅雨時の様なジトーッとした重苦しいものに変り、病室の電灯までが薄暗くなったのです。
“おかしいな,なんだろう” すると、突然“おい、お前、後で用があるんだ。いいか、おとなしく待ってろ。”脅かすような、そして何とも言えない陰鬱な男の声が、私の脳裏に響いてきたのです。
その声を聴いて、私は全てを悟りました。そこで空間を睨み付けて、心の中でこう言ってやったのです。“アー結構だ。でも念のために言っておく。私の主護霊は平沢春義霊神、主支配霊は光仙坊霊神でその師匠はローム太霊、背後には世言御利達太神を初め多くの諸神が−”そこまで言いかけると、室内の空気がパッと変わったのです−。
私を脅かしたのは、この病室で亡くなり、未だ成仏できないでいる男の浮遊霊なのです。私に色々と悪戯をしかけて、そして今日の祭を羨んで脅かそうとしたのです。ところが、私の背後の諸神のみ名を聞いて、恐れをなして逃げ出したのです。思えば可哀そうな浮遊霊でありました。
そこで、般若心経と延命十句観音経を上げて成仏するようにと諭し、そのことを退院するまでの日課としました。退院の日にふと、あれから病室でガタガタ鳴ることが無くなったことに気が付きました−。
今回、入院した初めての夜、ベッドで目を閉じると、不思議なことに病室が急に半分ほどに狭くなるのです。何回か目を閉じたり開けたりしても同じなのです。“おかしいな”その内に、12年前の病室が、この半分ほどの広さだったことを思い出しました。
“供養してやりなさい”と言う主護霊からのメッセージなのでしょう。それから毎晩、般若心経と延命十句観音経での供養が日課となりました。
以上