小泉宗雄・「三光太源文化研究所」のご案内

特別編(第三十八話@)2021年9月


令和三年9月吉日


スピリチュアル エピソード 特別編 第三十八話


ローム太霊がその死を哀惜された

父小泉平一の軌跡



第三十八話

平一の豊野油田開発の苦闘の歩み


その1 昭和32年の独力で試掘を行うまでの

     歩み


 昭和20年8月15日の終戦により、海軍特務班で鹿毛中佐と伊田一善氏が中心となって進めていた、豊野油田開発事業は終焉してしまいました。
 然し、平一にとってはこの事業に、新たに、終戦後の我が国の経済再建のためにとの命題が加わったのです。
 そのために、昭和21年12月に理学博士となった伊田一善氏に、再度、豊野油田の石油開発可能性の調査を依頼して、完全なる油田であるとの報告を得ました。
 更に、斯界の権威である元北樺太石油技師長の新谷寿三氏からも、その有望性の指摘を得る等した結果、昭和22年3月に、日本政府による「石油開発促進委員会」に、東京帝国大学上床教授の推薦により、未開発・未着手鉱区であるにも関わらず、政府助成金交付の対象に認定され、その結果475.992円の補助金支給の認定を得ました。
 然し、補助金はその額が総予算の三分の一に満たないと交付が実行されず、そのための資金が集まりませんでした。
 そのために、「第十五話 終戦後の混乱の中で豊野油田開発に奔走、国から試掘助成金の通知を得るも、やむなく返上―」でお話ししたような経過を辿って、やむを得ず返上となってしまいました。
 昭和32年に自前で試掘を行う迄の大きな動きとして、昭和24年の甲府の一瀬丈兵衛氏との関わりがあります。
 平一は各方面に採掘のための金主を求めて活動すると共に、そのための掘削地点の決定にも力をそそぎ、昭和23年3月には、新谷氏等と現地を訪れて神意を伺い、掘削地点の決定をするべく計画した旨の記録があります。
 その様な活動の中で、恐らく同じ心霊の道に研鑽している方と思われますが、甲府で商社を経営している一瀬丈兵衛氏との接点が出来たのです。
 因みに、平一の主支配霊源信霊神は、「一瀬は汝に有縁の者にして、武田に関係あり」と教えられております。
 そして、平一と意気投合して出資の話が進み、その結果、昭和24年12月1日には平一と一瀬氏、そして新谷、菊地、麦林の諸氏が集まって、豊野油田開発のための会社設立の取り決めをすることとなりました。
 そして 
1. 名称は豊野石油株式会社
2. 資本金5万円
3. 株式は5対5 
 関係者の分に関しては、小泉より5の内2を割いて
 関係者に振り分ける、
 との事になりました。
 そして
1. 社長  小泉
2. 副社長 一瀬
3. 常務  菊池。新谷
4. 監査役 竹内、麦林
 と決まりました。
 この時一瀬氏には、社長は自分がなるか、或いは他から招聘するか等の考えがあった様なので、平一も、ひとまず一瀬氏を社長にして、ともかくもこの事業を出発してはとの考えが、頭によぎったとの事であります。
 するとその時、ヘルマン霊神が平一の眼前に立って、「汝、神命を忘れたるか」と平一をはたと睨んだとの事で、その提案は取り止めに致しました。
 そして昭和23年9月26日の隼人霊神の、社長は平一がならなければならないとの霊告を示し、一瀬氏も了承したとの事でありました。
 平一は安堵すると共に、これから苦労がさらに増すのだと覚悟いたしました。
 そして10日程の内に、出資金を振り込むとの約束をして散会致しましたが、出資金の振り込みが無く、挙句の果てに18日に菊池氏の元に、一瀬氏から電報で「資金の都合つかず、全て1月に延期頼む、委細面」との知らせがありました。
 そして、以降、一瀬氏との縁は切れてしまったとの事であります。
 平一が霊眼で見たところによると、一瀬氏はこの神業の為に、日にち定めて行をしたのですが、其の満願の日に風邪をひいてしまい、そのために行を怠った結果、心に迷いが生じてしまった、誠に残念なことだったと慨嘆したのでした。