小泉宗雄・「三光太源文化研究所」のご案内
令和三年11月吉日
スピリチュアル エピソード 特別編 第三十八話
第三十八話
平一の豊野油田開発の苦闘の歩み
その3 太源石油株式会社の設立について
その様にして、試掘は成功を見ることが出来ませんでした。その上、平一の親友であり長年の同志であった菊池豊は、この神業の第一線から去ってしまいました。
然し、麦林楢次郎を始めとする同志は、これにめげることなく、取得することが出来た採掘権を新しい旗印として、出資企業を求めての活動を再開いたしました。
そして、昭和34年になって辿り着いたのが、昭和30年に石油資源開発株式会社法に基づき設立された石油資源開発株式会社との提携でありました。
そこに至った経緯の記録は残されておりませんが、同社に豊野の鉱区を提供して、共同で採掘をおこなうとの案が固まりました。
そして、そのために会社を設立して、平一が所有するこの鉱区をその会社に譲渡すると共に、その会社の会長に自由民主党衆議院議員の簡牛恒夫を招聘することとなりました。
簡牛恒夫を招聘する事にした経緯は不詳でありますが、国策会社への交渉には有力な政治家の力が不可欠だったのでありましょう。
その為に、楢次郎が戦時中に大政翼賛会の錬成部副部長の職にあった時の部長であり、その縁で親交を重ねていた同氏に、お願いすることにしたのではないかと思われます。
簡牛恒夫は1894年に福岡県に生まれ、早稲田大学卒業後、郷土の先輩である中野正剛に師事して政治の道を志し、1930年の衆議院選挙で立憲民政党から立候補して初当選を果たしました。
そして、当落を繰り返しながら政治の世界で活動し、戦後、公職追放を受けて一時実業の世界に身を置きましたが、1956年の衆議院選挙で自由民主党から立候補して当選し、以降、衆院運輸委員長・大蔵政務次官などを歴任しております。
人格が高潔であり、併せて、神霊の道にも理解があったようであります。
そこで、平一は太源石油の役員と、株式の配分を決めることとなり、心労を重ねました。これらはいわば同志に対しての論功行賞であり、私心をもって行うことは出来ません。
そこで34年12月9日から5日間、南幽南東のせんだらむきん太神と、鶴仙太神、隼人霊神に対して、三更に水行を以て祈りを捧げました。
そして12月10日に、まずこれらのことは紫風苑の斎庭で神意を仰ぐべきか、或いは平一自身の霊力を以て自ら霊示を仰ぐべきかを、神籤に記して捧げて問うたところ、汝が霊示を以て仰ぐべしとの指示を得ました。そして、そのことは15日に行うようにとの事でありました。
満願明けの14日に、まず自己の持ち株を決める籤を作るために考えていると、主護霊が来られて「隼人の命で参ったが、汝の配分35%より40%、50%と70%迄の8本と定め、白紙一本添えおけ」と指示がありました。
指示された15日に神前にその神籤を供えて祈りを捧げました。
祈りが進むにつれて、衣冠束帯姿の主護霊工藤霊神がお見えになり、霊神に導かれて南東南西の光界に参行し、太神から十字の神剣を賜りました。
そして肉体に帰り,鶴仙大神と隼人霊神に祈りを捧げました。すると隼人霊神が、神前に備えた神籤の一本を選ばれ、平一の前に差し出されたので。それを開くと70%と記されていたのです。
平一はこれではあまりに多すぎる、同志にもっと分配しなければと困惑し、その減額を懇願したのですが、隼人霊神からその中の1割を割いて簡牛凡夫に与えよ、それ以外は絶対にまかりならぬ、これは神意であると強く叱責をうけて了承いたしました。
続いて隼人霊神から同志それぞれへの株の配分と、役職の指示がありました。
その様にして、平一は昭和34年12月16日、太源石油株式会社の役員と各人の持ち株株を、次のように決定いたしました。
小泉平一 取締役社長 1,890株
竹内栄一 取締役 180株
麦林楢次郎 常務取締役 243株
北原猪義 常務取締役 243株
桑原時雄 監査役 45株
小泉幸雄 同
菊池豊 株主 162株
簡牛凡夫 取締役会長 210株
小島巌夫 顧問 27株
計 3,000株
尚、太源石油株式会社の名称も、隼人霊神から賜ったものであります。
完