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小泉宗雄・「三光太源文化研究所」のご案内
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令和五年十月吉日
スピリチュアル エピソード 特別編 第四十四話
ローム太霊がその死を哀惜された
父小泉平一の軌跡
第四十四話
三光太源会で平一が、門下に教え諭していた
ことはー
その4 神霊界の実相「祈り」について
時は遡りますが昭和32年7月28日の斎庭で、平一は「祈り」について次の様に教えております。
「祈り」とは人間が神、神霊、霊物に対し、自らの意志を「念」と波動に乗せて伝達する「法」である。
祈りには、神に対しての感謝の祈りと、願いの祈りと、神を讃仰する祈りとがある。
自己の祈りを如何にして神に届かせるか、それは自己の不断の祈りによって、自然にその力が「術」になって、感応道交出来るものになる。然しその力も、自分の持てる資格相応にしか神に通ずるものでは無い。
神、所謂太神から降り来る線は、約「十」の中継所を通して降ると聞いている。
それは、一つの例を云うならば @現界人の元体の存在する神界に働く霊神に力をつき込む所 A現界人の肉体の望みの受信所 B現界人の霊体。幽体等を引き上げて向上させる場所 と言った様な中継所を通して降ってくる。
そうして、使神の最高位にある天冠神と下位なる奇鬼神、天冠神と奇鬼神のその中間に位せる天霊神を媒体として降るのである。
もとより天冠神、天霊神、奇鬼神といっても、各々幾段階があり、一つの段階と一つの段階との差は、大変な「力も術も格も」差があるのである。
人間の祈りと云うものは、それを認識すると否とに関わることなく、必ず自己の背後霊が次から次へと、その祈りを上に上にと取り次いで呉れるものである。だから、自己の力で神に通じた等と思う者が大半であるが、普通の人間の力などでは、到底、直接通じるものでは無い。所謂背後によって引き上げられる祈りが、人間の普通の祈りなのである。
自分の力が向上した時は、背後によってその祈りが引き上げられるのではなく、一つ一つの背後への力の合体を以て自らの祈りが力、「術」を自然に増加しつつ、祈りが達して行くのである。
故に、祈りの力を強めんための最良の法は、自己の背後霊の組織を認識して、自己に一番身近な力、いわゆる奇鬼神に合体する力を養い、それから奇鬼神より上の力である主支配霊、又は支配霊に合体する力を養い、それよりそれ以上の力の持ち主である主護霊、又は守護霊、或いはその上なる守護神に合体にすることが第一である。
神界には内郭と外郭がある。神界の外郭において太神あり、その下に大神あり、天冠神も大神あり、霊神あり、其の下位なる天霊神も神であり霊神である。奇鬼神もしかり。
仏教に云う所の仏も、大神を指しているものもある。又、天冠神に位し天霊神に位せる仏もある。故に神は決して一神ではない。正に八百万の神が居られる。外郭においてさえ、神界、霊界、幽界、現界にそれぞれ幾十柱の太神が在はし、その下に幾百柱の大神が在はしますのである。
祈りは、神によって生かされている人間の、なさねばならない当然の義務である。
祈りを高めるためへの「行」を「祈行」と云う。
祈りは、祈りによって人間の霊覚、霊性が自然に浄められ、高められる徳を生ずるのみならず、不断の祈行は自然の冥助を受けるものであることを知らねばならない。
神は現界の森羅万象、自然一切を司り給うものなるが故に、間断なくその
線を、言い替えるならば常によりよき修理固成へのご遺志を注ぎ給うところの、み愛なる
線を現界に下されておられる。人間は天から降る神の
線に自らの祈りを合わさんが為に、常に祈行させられているものである。
又、かくなさしめんとして、その人間の信仰心の有無を問わず、常に背後は懸命に努力しているものである。
降り来る天よりの
線と、上がり行く人間の祈線とを霊界では「互線」と呼んでいる。この互線を結ぶ媒体になる役のものが、即ち奇鬼神である。
うまく
線と
線とが結ばれた時に、そこに感応の印が降るのである。
故に、如何なる場合も、祈られる太神自らが其処に降られるものでなく、太神のみ旨をうけた代表する使神が神の
線を通して、人間の祈りや祭りを受けられ、あるいは神の意志を実行されるものなのである。
人間の小さな力をもってして、到底、無極無限の彼方なる太神そのものに、祈りを通ずることは不可能のみならず、天冠神に感応道交することも難しい。
天霊神、並びにそれ以上の神に通じることの出来る人間は、人間社会で言う所謂人格的、道徳的な「聖人」ひじりではなく、それは神霊から見ての真の「ひじり・聖人」なのである。
「キリストと雖も、一生の内太神に通じた祈りは一度あるか無いかであろう」とローム大霊が言われたことを考えても、如何に遠いものであるかということは、思い半ばに過ぎるものであろう。
先程から云うように、人間、背後霊と云う幾段階の媒体無くして、祈りを祈りたらしめることは難しい。故に、神に通ぜんとするならば、神を知る前にまず自らの目の前のもの、即ち背後を知るにある。
その力を力とし、背後霊の中なる自己に最も身近な霊の力に、使われる力でなく、その力を使う力に迄、自己の力を高める「行」を積むならば、格から格を重ね行くに従って、奇鬼神にもその上なる天霊神にも、終には天冠神にまで達する祈りの力が出来るのである。
背後に通ぜんがためには、神に祈ることである。神に通ぜんがためには、背後に祈ることである。これ即ち、螺の大法なるが故である。
一つの宗教、例えば新興宗教等の教祖が、祈りによって病気直しなどをする。それに奇跡が起こった場合などは、その教祖の力が直接に太神に通じて起こった現象ではない。
それは、自己がその術を意識すると否とに拘わらず、術に於ける現象に他ならない。然しそれは当然、それを守護する霊団の冥助が加わっての事であるが、そのような場合が多いのである。
しかし、殆どの教祖は又それが一つの神霊によって、いわゆる教祖が持てる命と、その教えの格相応の神霊によって起こされる術であることには無知であろう。
だから、その呪で病人を治すのも、一つの法で癒すのも、祈りをもって癒すのも術そのものに変わりはない。
然し、術と祈りは自ずから異なるものである。然し祈力の最高は術である。その人間の命と、格と、力とが混然一体となって合わさり、奇鬼神の力を動かした時、或いは自己の運命の格が最高頂に達した時、それらのものによって支配される力は、そこに驚くべき現象を現すものである。
祈りというものは、その祈りが神によってかき廻されて、自分に帰って来るものである、しかし、いかなる時の祈りにあっても、心にわだかまりを持った祈り、心に波風を立てた祈りであっては、決して通じるものでは無い。
祈り程易しいものはないが、祈り程むずかしいものもない。
完