小泉宗雄・「三光太源文化研究所」のご案内

特別編(第三十五話)2021年6月


令和三年6月吉日


スピリチュアル エピソード 特別編 第三十五話


ローム太霊がその死を哀惜された

父小泉平一の軌跡



第三十五話

妙高山重明霊神について


 むずかしい霊言・啓示と、重々しい祭文・奉献の文の紹介が続きましたので、今回はローム霊団の妙高山重明霊神のことをお話いたします。
 平一を守護された多くの諸神、諸霊の中で、重明霊神はあたかも、骨肉の祖の様な存在だったようであります。
 明玄秘録第3巻の昭和33年7月23日に、重明霊神について以下の様に記されております。
 平一は昨日の行において、霊体が導かれて妙高の霊境に至り、重明霊神にお目に掛かって術についての教えを受けたとの事であります。
 重明霊神は、妙高山下の関にある姥堂に、妙高山の開山の一神として祭られてから、その力も格も格段の飛躍を遂げられたとの事で、霊界に於いて大変な難行苦行を積まれたからこそのことと拝察しております。
 重明霊神は新潟県高田に生まれ、魚屋を営んでおりました。信仰心厚く、若い時から山岳両部の行道に入り、特に妙高、御嶽を尊崇した方であります。
 平一は霊神の孫である竹内満朋と深い霊縁で結ばれておりますが、重明霊神とは、それに勝る霊縁に結ばれているとの事であります。
 重明とは生前の行者名で、俗名は竹内喜三郎、竹内満朋の霊媒としての卓越した力には、竹内栄一(満朋)が平一の家にいて招霊霊媒として力をつけてきたある時、初めて重明霊神が憑依して幽界の事情を物語ったことがあり、その時「自分は今、御嶽山松尾滝で修行をしている。おまん(お前)もこれ(栄一)も是非松尾に来なされや」と云われたとの事であります。
 そして、不思議なことに、それから幾ばくもなくして御嶽山松尾滝松尾竜神が、平一の神業の指導をされることとなり、三度の霊夢により、竹内栄一を伴って松尾の滝で行を行い、その眷属の妙開普洞霊神が背後の神霊に加わったのでした。
 以下は日記の原文であります。
 「この如き意義においても、重明さんは松尾における私の大先輩であり、尚に直世の縁の深いものを感じる。だから私には栄一との義縁霊縁はさて於き、重明さんとは骨肉以上の愛情を感じる。
 当時竹内君に懸ってきた重明さんは、温和な目に白い長いあごひげが私の霊視に印象的に映ったが、着衣は清浄な行衣であった。重明さんの悲願は、病苦に悩む衆生の救いである。此の命とこの格によって、三光の仙岳の支配におわすローム大霊によって、その面を代表されるべき任せに着かせられた。
 むべなる哉。妙高霊境に私が親しく教えを受けた霊神は、昔の重明さんではなく、妙高山重明霊神として、妙高天狗界の一神としてその格にある霊神であった。
 白哲長躯一杖を持ち、にこにこされながら右手に白髭を軽く握られているが、行衣の胸に懸けられた色取り取りの燦然たる勾玉は、霊神の生前、および幽界における「行跡徳行」によって神から賜った永劫不滅の勲章に他ならない。霊体から発せるその輝きは、誠に素晴らしいものである。
 神としての格というものは、こうも違うものかと思わず頭が下がったのである。」
 
 重明霊神は、私にとって膀胱がん、胃がん、舌がん、そして大腸がんと、4度の難病の治癒にご加護を戴いた有難い神霊でおられますが、重ねて私の結婚についても御力を頂いております。
 平一は生前、私が何回か結婚相手のことを相談したのですが、悉く反対でした。又、門下の方々が心配して、いろいろと紹介の労をとって頂いた様ですが、私の耳には全く届いておりませんでした。
 というのは、平一には、これが宗雄の妻になる女性だと決めていた人がいたのです。それは第二十四話でお話しした、浅草の桑原先生の神霊の門下であり、併せて平一の門下でもあったMさんでありました。
 しかし、後で判ったことですが。Mさんにその話を2回、Mさんと親しい門下のOさんを通じて持ち掛けたのですが、何故か良い返事が得られなかったとの事であります。
 私が40歳を過ぎたある日、手はずを付けたから直接会って話をするように言われて、茅場町のホテルのラウンジでMさんと、やはり桑原先生と平一の門下生だったMさんのお姉さんと3人で食事をしました。
 しかし、その時も良い返事は得られず、さすがの平一も何故だろうと首を傾げ、そして断念致しました。
 所が、平一が没して数年後、結婚して会社を起業した私は、加入していた異業種交流会の集まりで、思いもかけずMさんから声を掛けられました。奇遇との事で、帰りに食事に誘い、そこで思いもかけない真相を聞かされたのです。
 「お話しを戴いた時、桑原先生にご相談しました。先生は、宗雄君は悪くない、だが、あの厳しい先生の元に嫁に行ったら大変だぞ、そう云われました。竹内先生にも相談したのですが、お答えは同じでした。だからお断りしたのです。」父がこのことを知ったら、きっと苦笑することと思います。
 平一が没し、母のさきが病に倒れ、困惑する私に家内の章子を添えさせたのは、私の背後霊となっている祖父の益太郎と、重明霊神の計らいによるものでした。
 益太郎が重明霊神に相談したところ、姥さん・妙高山姥堂姥媛霊神の子孫に、ふさわしい娘がいるということになり、当時、相馬の叔父の元にいた樋口章子と縁を結ばせたので、私はこのことを後日幻視により知らされました。
 因みに、姥媛霊神は生前木曽義仲の乳母で、木曽の豪族中原兼光の妻でした。兼光には樋口兼光、今井兼平、そして巴・後年の巴御前の3人の子がおり、この樋口兼光が樋口家の祖となったのです。
 私は若い頃読んだ歴史書で知ったこのことが、何故か何時迄も頭に残っており、義父に生前そのことを話したところ、歴史好きな義父は「宗雄君はよく知っているな。確かにその様な説があることは承知している。」との事でありました。
 重明霊神には毎朝、感謝と諸病治癒の願いの祈りを捧げております。