小泉宗雄・「三光太源文化研究所」のご案内

第18話(その3)2016年1月


 平成28年1月吉日


スピリチュアル エピソード 第18話 (その3)

幽界に旅立った“はらからたち”からの応援歌


その3 生きていたらきっと美人に−、

       水子の「ミホコ」は赤いスカートが

       可愛くて



 私が「ミホコ」の存在を知ったのは、父が他界する直前のことでした。癌だと言われて広尾病院に入院し、開腹手術をしたものの、これでは手の施しようがないと宣告され、それでも不思議と激痛に苦しむことの無い、そんなある日の夜の事でした。

 “昨日、一雄とミホコが来た”
 父がそう言いました
 “ミホコって誰”
 私には初めて聞く名前でした。

 父は一瞬、微妙な顔をして何かを話そうとして、そして次の瞬間そのコトバを?んで“門が開けたら、話すよ”そう云いました。開門とは、父が託された地下資源開発の神業の成就のことです。
 しかし、関係する誰もが信じていた奇跡はついに起らず、父は他界しました。三光太源会は消滅しましたが、その中で最も熱心で、私にとっては叔母や姉の様な存在だった4人の女性会員に頼まれて、母と5人で彼岸や盆の祭をすることにしました。
 各人に供養する御霊の名を聞いたところ、最も親しい独身のKさんから、亡くなった両親や親族と、そしてミホコの名が挙げられたのです。その時私は全てを察知しました。そして、母の今迄の苦悩を思いましたが、そのことを口にするわけにはいきませんでした。

 父の古い神霊記録を探ると、この行為を勧める祖霊たちの声が記されておりました。
 “一体、何故なんだろう”私は一人悩みました。そして、その疑問に応えてくれたのは、父の心霊研究の師であった浅野和三郎でした。
 「現世は霊魂の生産工場である」師の著書の中にそのコトバを見つけたとき、一言で言うと、顕幽に跨っている父の使命達成のためには、どうしても、ミホコと云う御霊が必要となり、主護霊や祖霊達の了解のもとに、このことがなされたのだと悟らされたのです。その日から、日々の祈りの中にミホコ霊人の名を加えました。

 ミホコのことは、私の著書の「小泉平一の二人の水子・一雄とミホコの事例」に多々記述しましたが、あちらの世界には亀仙霊神と云う鬼奇神の養育係がおり、私の祖父母や兄達にも可愛がられて天真爛漫、時折父の許に現れて、実母Kさんの所に連れて行って欲しいとねだっております。
 また、私の事にも大変興味があり、私が仙台に出張した時に、当時の国鉄がストライキを起こしてしまったために、父がミホコに“宗雄が昨日、飛行機で行ったんだよ”と話すと、“おとうちゃま、ひこうきってなーに”と質問し、幾ら説明しても納得しないで困惑する様が書かれております。

 そのミホコが、一雄と一緒に私の決断に悩んだ誕生日の夜出現したのです。4,5歳でしょうか、おかっぱで赤いスカートを穿いていました。
 “これ上げる”それは白いチューリップでした。花言葉は「新しい愛」、それはきっと私の決断を祝ったのでしょう―。

 “ミホコ、今度は何時会いに来てくれるのかい”
                                完