小泉宗雄・「三光太源文化研究所」のご案内
平成28年6月吉日
スピリチュアル エピソード 第23話
今月は私の誕生月なのでとっておきのお話を致します。平家物語で有名な俊寛僧都について、私の主護霊平沢春義霊神が教えて下さった秘話です。
第21話でご紹介した漢学者高田周蔵先生の主支配霊は俊寛でした。そしてこれからお話しするのは、30代のある日の三鷹の竹内満朋の 降霊会での出来事です。
俊寛が荘重な語りで高田先生に霊言を垂示されました。その次が私の番でした。
私の主護霊平沢霊神が「今のは俊寛である」そう言われました。そして続いてこう言われたのです。
「宗雄、平家物語の俊寛を知っているであろう。」「はい、存じております」「では、俊寛のことを教えよう。俊寛は後の世に伝えられるような愚僧ではなかった。」そう言われて次のような意外な事実を教えられました。
「その俊寛が、鹿が谷の一件で藤原成経、平康頼と3人、喜界が島に流罪となり、そして、やがて赦免の船来て二人だけが赦免され,俊寛一人が残されて浜辺で泣き崩れた、そのことは平家物語の通りである。
ところが、俊寛の前に不動明王の脇仏である「こんがら童子」と「せいたか童子」と云う二人の童子が現れ、俊寛の両脇を抱えて空中に浮揚し、中国に連れて行った。
俊寛はやがてチベットに入って修行を重ね、ついに今のドイツの地に至ってバラ十字を創ったのだ。
お前にバラ十字の研究をせよというのではないが、人間の可能性の偉大さを、この俊寛から学ぶが良い。」
バラ十字を始めたと言われている「クリスチャン・ローゼンクロイツ」(1378年〜1484年)は、出生が不明の謎の人物とされ、伝えられている寿命も百歳を超えています。1143年生まれの俊寛とは時代の違いがありますが、恐らくはバラ十字の源流に何か関わりがあったのではないかと思われます。
俊寛については、父平一の古い日記を繰ると、初めて高田周蔵の主支配霊として 降霊会に出現したのは昭和21年11月3日のことで、岩崎霊人が「なかなか偉い方ですよ」と云われております。
その後、昭和22年3月3日の 降霊会で俊寛が、「二人の童子が現れたのが三月三日だった」と霊言しております。
又、紫光会会長寺見文雄氏の主護霊高尾霊神は、俊寛について次のような霊言を垂示しておられます。参考のため、その原文を掲載いたします。
『如何なる世の塵に包まるるとも、親鸞の如き、苦の中に自らのやわらかき体を捧げて苦にいる者もあり、日蓮の如く瓔珞(ようらく)たる体の主、自らの苦をとりて事なす自力の人もあり。各両面を得たるは俊寛なり。俊寛の遺跡即ち天道にいる。道の向う本は常に左右をとりて我が意の存在を天地に示す云々』
この様に云われて、俊寛のことを「日蓮と親鸞の両面を得た高僧だ」称えております。又、「俊寛の遺跡、天道にいる」とは、バラ十字という一つの道を開いたことを指しているのかもしれません。
あれから四十数年の時が流れましたが、この霊言はつい昨日のことの様に思い出されます。
完