小泉宗雄・「三光太源文化研究所」のご案内

特別編(第四十二話)2023年1月B


令和五年1月吉日


スピリチュアル エピソード 特別編 第四十二話


ローム太霊がその死を哀惜された

父小泉平一の軌跡



第四十二話

平一の今一つの神業、三光太源会による門下の指導について


その3 紫光会の神事への参列


 竹内満朋の活動拠点である紫光会は、中央区新富町で圧力釜の販売と、圧力釜による玄米食の普及活動を営む石野商店・石野芳子の店舗併用住宅の2階にありました。
 石野芳子は所謂女傑と云ったタイプでしたが、反面、大変気遣いが細やかな方でありました。
 子宝に恵まれずに若くして夫君を亡くし、戦前は商いの傍らに敬神婦人会の会長を務めておりました。
 竹内満朋の知己を得て、その2階を紫光会の事務局に提供しました。三鷹に居を構えていた竹内満朋は、平日はその2階に寝泊まりし、住み込み店員の吉江るり子が、紫光会の事務局と竹内満朋の身の回りの世話をしておりました。
 吉江るり子は平一の道友で、北原猪義を平一に紹介した紫光会会員の吉江茂の妹で、三光太源門下の山田武雄夫人の道子と、同じく吉江康の姉でもあります。縁に恵まれず、生涯独り身でありましたが、気心の優しくて面倒見が良いために、多くの人々から慕われ愛されておりました。
 紫光会の定例神事として私の知る限りにおいては、まず毎月一回の主護霊会とローム大霊の講話会がありました。
 ローム大霊講話会には平一を始め北原猪義と山田武雄が参列しておりました。
 年中神事としては、天筆の会、ローム大霊祭、5霊神祭そして妙高山登頂参拝がありました。
 天筆の会は1月10日に紫光会で行われました。なお、降霊会は夜に明かりを消した漆黒の闇の中で行われますが、天筆は日中、白日の下で行われます。
 30センチほどの太い竹の真ん中に、墨を含ませた筆を直角に括り付けます。
そして竹内満朋と例えば私が対座して、其の竹を水平にして片方を竹内満朋が、片方を私がそれぞれ右手で握ります。筆の下には色紙が置いてあります。
すると、ローム大霊か隼人霊神が降霊されて強い力で筆を動かして、色紙に霊言や霊絵を描かれます。
私は何回も参列させて頂きましたが、いつも筆を動か強い力に驚かせられます。
道院・世界紅卍学会のフーチは、色紙ではなく、砂を敷き詰めた盤に霊言が垂示され、その霊言を書き写すとの事ですが、天筆は一人一人にその色紙が下賜されます。

三光太源の会員は、後日その色紙を平一の元に持参し、その神意を教わっておりました。
なお、このフーチと天筆の詳細は、スピリチュアルエピソード第28話「ローム霊団による新年恒例のフーチ。天筆の思いで」をご再読下さい。
この天筆には平一を始め、三光太源会の大半のメンバーが参列致しました。
ローム大霊祭は4月中旬の日曜日に中央区の京橋会館で、隼人霊神、玉造霊神、姥媛霊神、重明霊神、岩崎霊神をお祭りする5霊神祭は、11月中旬の日曜日に同じく京橋会館でとり行われました。
 竹内満朋が白衣に身を固めて神主を務め、青木謙徳が同じく白衣でその補佐を務めました。そして、竹内満朋と石野芳子、そして平一が奉献の文を奏上致しました。
 祭事が終わって直会となり、そして皆が楽しみにしている福引がありました。
 三光太源のメンバーは殆どが常時参列し、松田りゅうさんの姉で水戸に住むきんさんや、福島からは松田りゅうさんが、その地の小学校の教師を務めていた時の教え子だった佐藤なつさんも、いつも楽しみにして参列しておりました。
 この祭事の事は、小泉平一の軌跡第23話「紫光会でのローム大霊祭と4霊神祭」に詳しくご紹介してありますのでご再読下さい。
 なお、誠にお恥ずかしいことながら、うかつにもこの時は重明霊神の御名を入れ忘れてしまい、御祭りを5霊神祭ではなく4霊神祭と誤記してしまいました。謹んで訂正致しますのでご容赦ください。
 その他に、妙高山登頂参拝がありました。
 妙高山には竹内満朋の守護神で、平一の神業の守護神でもあらせられる妙高山鶴王大仙大神がおられて、紫光会発祥の地であります。
 というのは、ローム大霊が高貴な使命を持たれて妙高山の霊場においでになり、妙高山鶴王大仙大神に拝謁してこの霊場に留まり、玉造霊神のお引き合わせで竹内満朋の祖父である重明霊神にお会いになって、その孫の竹内満朋の尊い使命を達成させるために主支配霊の座に就かれると共に、ローム霊団を創られて紫光会の斎庭を開かれたのであります。
 なお、重明霊神は俗名を竹内喜三郎と言われて、妙高山の山頂迄の道を拓かれた方であります。
 紫光会では毎年7月21日に、登頂参拝を行っておりました。そのことは次月にお話しすることと致します。

続く