小泉宗雄・「三光太源文化研究所」のご案内

第17話(その1)2015年11月


 平成27年11月吉日


スピリチュアル エピソード 第17話 (その1)

パチンコ奇譚 動物霊の力


その1 汝の妻に力振るう、見よ!



 私の趣味はパチンコ、但し、お酒を飲んだ後でないと絶対にやりません。いや、お酒を飲むと、やたらにパチンコがやりたくなるのです、まるでパブロフの犬の条件反射のように−。
 その遠因は若い日の名古屋にありました。32歳の時、綜研と云うリサーチ機関に勤務していましたが、突然、名古屋支社長を命ぜられました。
 それは、業務主任を務めていた私か、若気の至りで赤字続きの名古屋支社を批判したことから、“そう云うのならお前がやれ!”それから5年9か月、過酷な激務が始まりました。
 当時の私は全くと云って良いほど酒が飲めず、ビール一杯でもう真っ赤になり、そして眠くなる始末、でも名古屋ではそうはいきません。散々苦労しました。
 仕事の上だけでなく、独身なので食事は昼、夜とも近くの定食屋で−、ところがそのような店は “夜は飲み屋に変身!”なのです。
 残業を一区切りつけてカウンターに座ると、黙ってビールかお銚子が−。“酒はいらないよ”そう言っても敵はさる者、“まあまあお疲れ落としに”とすかされて飲まされるのです。
 職住接近のアパートに帰ってパタンキュー、それでも深夜、目覚ましに起こされて、顔を洗って又仕事を−、我ながら良くやったと思う日々でした。
 「酒を覚ますには、パチンコが一番ですよ―。」大阪に転勤していった年配の支社長Nさんが、そう教えてくれました。ご存知のように名古屋はパチンコ王国、酔いを醒ますために随分月謝を払いました。そして、東京本社に復帰した時は、ビール一本半が適量になったのです。
 52歳で今の会社を起業し、若い日の名古屋の様な日々が続きました。一つだけ違うのはお酒が強くなっていることです。
 夕飯は会社の近くの居酒屋で、そして時間が早ければ、パチンコで酔いを覚ましての帰宅、さすがに“夜中に目を覚まして仕事を−”だけは無くなりました。


 それはもう15年も前のことです。家内と二人で下高井戸のすし屋で一杯飲んで「パチンコ屋」に行きました。出玉率が悪く、その上、両替のルートも都心店に比べるとかなり劣っていて、いつもガラガラ、でも下高井戸にはここ一軒しかないのです。
 暫くして、何気なしに家内の様子を見に行きました。すると出玉であふれたケースが4箱程積まれていました。“ほー、今日も入っているな。”
 その時です。“われ、ぎょくせん、汝の妻に力振るう。見よ!”それは声なき声としか言いようがありません。耳に聞こえたのではなく、頭の中に響いて来たのです。
 “ほー”それから私は、唖然として立ちすくみました。あれよ、あれよという間に、パチンコ玉が一杯詰まったケースが山積みされて、それも何列にもなって行くのです。全く見たことの無い光景でした。
 その勢いは閉店まで続き、両替すると十数万円になったようでした!
 “何か僥倖があったら、必ず良いことをしなさい”そうローム太霊は教えられています。家内は後日両親に小遣いを分配し、大変喜ばれたとのことでした。
 この「ぎょくせん」には多分「玉仙」と云う字が当て填まるのでしょう。正しく玉の神霊です。それ以来家内は、私と違ってしばしば大当たりをするのです。
 “羨ましい背後が付いているな、でも何で家内に−”その疑問が解けたのは、14年後の昨年の暮れでした−。

                                    以上