小泉宗雄・「三光太源文化研究所」のご案内

特別編(第九話)2018年3月


 平成30年3月吉日


スピリチュアル エピソード 特別編 第九話


ローム太霊がその死を哀惜された

父小泉平一の軌跡



第九話 「『国家のため、汝これに依って奉公

     せよー』豊野油田開発に引き続いて、

     平一に次々と降された我が国の地下

     資源のあり場所に関する霊示



 ご存じのように、第二次世界大戦に我が国が加わらざるを得なかったのは、石油の確保のためでした。国内では石油はほとんど産出せず、現在でもその自給率は総需要の0.5%しかありません。他の鉱物資源も同様です。
 しかし、真実は「そうではない、実は持てる国なのだ。」大東亜戦争への突入を前にして、神霊はそう平一に教えられたのです。
 昭和15年9月22日、平一は松之尾竜神から日本全国にある、石油を始め諸鉱物が眠っている場所の地名が列挙されている巻物を賜りました。謹んで開いてみると、初めに秋田県院内の石油の所在場所が出ておりました。その他に同じ秋田にマンガンが、愛媛の八途山に鉄が、飯田に石炭が、福島県の平に銅が、城崎に金が等々それらは十数か所に及び、特にその中の幾つかは出来るだけ早く調査するようにとのことでありました。
 以降、残された記録によると、もっぱら竹内満朋師の 降霊会を開いて隼人霊神に指示を仰いでおりますが、秋田院内の石油、城崎の金、飯田の石炭等の現地には、竹内氏を伴なって調査に出かけております。又、その他の各地の調査は、計理士の西宮仙凌氏を使っておりますが、地下資源開発のプロでないため、色々と手間取ったようであります。
 その他に、どの様な専門家をこの事業に参画させたか等は不詳でありますが、何れにしても戦局が悪化し、本業の商いの方も大変な中で、畑違いの地下資源開発事業は神霊達の応援があったものの、その進展は容易ではなかったようであります。
 それでも飯田の石炭、秋田の石油、城崎の金の鉱区、その他何か所かの地下資源については、試掘権の設定を行っております。取り分け、城崎の金鉱開発は、この成功で資金を作って豊野油田開発を−、との目論見があったようであります。
 色々な伝を通じて資金調達を画策し、あるいは国に働きかけて開発を促進したようでありますが、何れの地域も開発されることなく終戦を迎えて「大東亜戦争のために国に尽くせ」との神霊の指示に応えることが出来ませんでした。
 なお、最も本命に当たる豊野油田の開発については、海軍省サイドに働きかけを行って色々な動きがあり、後1年も戦争が継続したら、海軍の手で開発する手筈まで行きました。そのことについては、後日お話しいたします。
 これらの鉱区の試掘権は、戦後も継続保有していたようでありますが、やがて小泉商会の実権が義弟に移ってしまい、生活にも困窮をきたすに至って鉱区税の支払いに事欠くようになり、豊野油田の試掘権だけを残して全てを放棄いたしました。
 なお、昭和19年3月19日の 降霊会で隼人霊神から、この事業名について「太源と名付けます。これは太元とすると言った意見も出ました。深い意味のあることです。」と云う霊言により太源鉱業所と命名され、これが後年太源石油と改名されました。
 その様なことで、いつの日にか日本の富として開発がと待望されている数多くの地下資源、その記録が私の手元に残されております。