小泉宗雄・「三光太源文化研究所」のご案内

第13話(その3)2015年6月


 平成27年6月吉日


スピリチュアル エピソード 第13話 (その3) 


主護霊から暗示された寿命と一生の予言、
そして延命して頂いた神慈について


第三話 何故だったのでしょうね。
     細胞検査をしたのは―。



 それは平成9年の夏のことでした。もう17年も前のことです。当時、私の会社は恵比寿4丁目にありました。
 私が縁あって、この地に在った綜合統計研究所・後年の綜研に職を得たのは、昭和三十年の初頭でした。当時の恵比寿は、JR山手線の最終電車が恵比寿止まりであったことから、新橋・有楽町に勤めている夜の蝶達向けの文化アパートが多くありました。
 現在、東京メトロ恵比寿駅のある西口は、バスターミナルと映画館、“恵比寿銀座”、などがあって賑わいを呈しておりましたが、東口方面・恵比寿1丁や4丁目は、民家とアパートの中に零細な町工場と飲み屋・雀荘が点在する、雑然とした下町でした。
 それが恵比寿駅ビルの新設と、次いで平成6年10月には恵比寿ガーデンプレースがオープンして様相が変わり、今では都内有数のグルメ・ファッションタウンに変身しております。
 その様な街に、小池先生と云う大正12年生まれの内科の医院があり、地元の信頼を集めていました。その小池先生が、医院の後継者として平成11年に迎えたのが、私の命の恩人となった佐藤康雄先生でした。
 佐藤先生は昭和27年のお生まれで昭和大学のご出身、幾つかの病院の消化器部門のキャップを務めた方でした。取り分け胃カメラ検査は、二万件を超える実績、経験をお持ちとのことです。


 当時、私は創業10周年を前にして、社員数は10人を超えたものの、相変わらず昼夜兼行の毎日でした。風邪をひきやすい体質のため、長年に亘り、小池先生には大変お世話になっておりました。
 小池先生は、佐藤先生に代を譲られて、お住まいを日吉の方に移された後も、永年の患者たちを気遣われて、数年間は週に何日か、電車で通勤して診察されました。そのために、私は佐藤先生がお出でになった後も、引き続き2年ほどは、小池先生に見て頂いておりました。
 平成13年8月のある日、妙に胃がむかつくので診察を受けたところ、「胃カメラの受診をしたら−」と勧められました。胃カメラは初めてなので、何か怖い印象を持っていたのですが、それではと思い切ってお願いし、初めて佐藤先生にお世話になりました。
 眼鏡をお掛けになった細面の温顔が印象的でした。そして、「胃カメラは始めてなので−」と云う私を気遣っていただき、安定剤を頂いたので、うとうとしている間に胃カメラが終わり、目が覚めると先生が「別に異常ありません、念のため細胞検査しておきましたが、何かあればご連絡します」ほっとした一日でした。
 ところが数日後、「細胞検査で、スキールスと云う癌が見つかりました−。」先生から会社に電話があったのです。「スキールス!」愕然としました。長兄の幸雄は40歳でスキールスに冒され、たった3か月で没したのです。「でも、早期発見です、大丈夫ですよ。」取り敢えずほっとしました。そして日赤病院の外科の酒井先生を紹介していただきました。
 酒井先生にお目に掛ると「あなたは実に運が良い、こんな早期発見は珍しい。仕事の都合がよい時手術しましょう」
 数日後に入院し、全身麻酔の開腹手術を行い、5時間ほどかかりました。早期発見とはいうものの、思ったより患部が広がっていて、結局、胃袋の三分の二を切除したのでした。
 麻酔が覚めてベッドに戻り、何気なく枕元のテレビをつけると、いきなり飛び込んできたのが、超高層ビルに飛び込む飛行機の映像でした!。そうです。その日、アメリカで9.11事件の惨劇が起こったのです−。
 それから2週間ほど入院しました。その時に第3話「日赤病院で出会った男の浮遊霊の話」で紹介した出来事がありました。それでも、癌が他に広がることなく、無事退院することが出来ました。
 早速、佐藤先生にお礼とご報告に伺いました。そして、「先生に胃カメラをお願いすると、何時も細胞検査をなさるのですか」そう伺うと「いや、そんなことはありません。たまたましたのです。小泉さんは運が良かったのですねー」そのように、さらっとおっしゃったのでした。
 とにかく、正しく命の恩人です。それから毎月一回診察して頂き、血圧降下剤や膵臓の薬などを頂いてもう14年になります。
 佐藤医院は今、恵比寿4丁目のバス停のすぐ近く、ガーデンプレースに向かうなだらかな坂道の辺の、マンションビルの2階にあります。
 3月に拙著を差し上げました。そして4月に伺った時「すごい世界があるのですね」との感想を頂きました。
 「この本を書けたのも、先生のお蔭です。それにしても先生はあの時、何で細胞検査をして頂いたのでしょうか」と改めて伺うと、「何故だったんでしょうね、思い出しても分からないのです。何の気なしにしたのですね−」そう言われました。
 そして、先生の奥様は旅行がお好きとのこと、ところが「何人か連れ立って旅先で家内が写真を撮ると、必ず後ろに知らない顔が映るんですよ。何なんでしょうね」と云われました。「それは正しく心霊写真です、奥様はその他に何か―」と伺うと、「いや、それだけで、後は何もありませんが―」そう云われました。
 内視鏡検査は、私の主護霊平沢春良霊神が、先生の脳裏に囁かれたのでしょう。そして、先生がその重要さをキャッチされて実行される、医道での徳と力を積まれていたと思います。もしも、これが大病院での胃カメラ検査だったら、恐らくそのようなことは無かったことと思います。
 私の一生の予言の65歳の「けつ」というコトバは、「手術の」であり、「胃を三分の二失う」でした。そして多分その年に「何か大切なことがった」のではないかと思います。
                                      完