小泉宗雄・「三光太源文化研究所」のご案内

特別編(第三十四話A)2021年3月


令和三年3月吉日


スピリチュアル エピソード 特別編 第三十四話


ローム太霊がその死を哀惜された

父小泉平一の軌跡



第三十四話

平一が奏上した祭文・奉献の文について


その2 ローム大霊祭に捧げた祭文

 ローム大霊祭は毎年4月の日曜日に、紫光会の主催により京橋の京橋会館で行われました。紫光会は、新富町で玄米食普及のための圧力釜販売を商いとする石野芳子が、石野商店の店舗併用住宅の2階を、竹内満朋の活動拠点として提供して開かれ、石野商店に住み込み勤務していた吉江るり子が、その事務局を担当しておりました。
 因みに、吉江るり子の兄吉江茂は、平一と竹内満朋の長年の知己で道友であり、妹は私に三光太源会や、ローム大霊の講話の記録を残してくれた山田武雄の妻の道子であります。
 参列者は主として竹内満朋の降霊会、紫光会、三光太源会、桑原時雄の示現会、菊池豊から川尻和人に引き継がれた一竜会、青木謙悳の青竜会等の会員や関係者でおよそ百数十人、来賓はいつも菊花会の小田秀人でした。
 御祭は竹内満朋と青木謙悳が白衣束帯の装束で神主を務め、竹内満朋と石野芳子、そして平一が祭文を奏上しました。私の知る限りでは竹内満朋は自作の文語体のいつも同じものを、芳子は口語体の平易な文でしたが、平一はその都度、後でお知らせするような祝詞を作文した様であります。そして荘重な口調で奏上すると、いつも会場の空気がピンと張り詰めるのが常でありました。
 御祭りが終了すると、その場をしつらえ直して直会となり、お弁当と飲み物が配られ、そして皆が楽しみにしていた、芳子とるり子の心尽くしの福引が始まります。
 戴いた籤には番号と言葉が書いてあります。一例を挙げると「39 我が身をなくして人の心を清める」、そして当たった景品は「石鹸一箱」でした。このような言葉と品物を、いつも二百個も用意したのでした。

 それでは昭和35年3月20日に執り行われた、紫光会十周年ローム大霊祭に献ずる祝詞をご紹介致します。

 「 紫光会十周年ローム大霊祭に献ずる祝詞
今日の斎(いつき)の祭神ローム大霊の大前に額(ぬか)づきて平一畏(かし)こみ畏(かし)こみて申して申さく、
 かけまくも畏(かし)こき三光道大神の大稜(おおみ)威(いず)のあまねきところ、大霊、先に太宗となして紫風苑を現し給ひ、亦(また)以て霊縁の諸人(もろびと)を導くに紫光会をつくり給う。紫光の沙庭(さにわ)開かれてより、此所に年を積み月を重ねて十周年を迎えたり。
 大霊、天界に萬衆を冥護し給い、地上に降り給いては神、霊、幽、現の大法を披(ひ)らきて、未聞の道理を授けつつ、永年因縁の衆を指導し給う。
 大霊の御力なくして各自、真の主護霊にまみゆることを得んや。将(はた)亦(また)人々、命と共にその秘を賜る。常に顕幽の大道を示し給うところ、大悲(だいひ)大慈(だいじ)の妙教、不断に三光の紫雨となりて諸人の御霊を洗えり。洵(まこと)に無量の寵慈、我等身を以て栄光をかがなへ、聖恩の尊きに感泣するのみ。
 竹内栄一師よくその霊能を捧げて、神霊に仕えまつれるは、これ大霊の忝き(かたじけなき)神力(みちから)の現れと言えども、亦(また)よく彼が修行の光にして、実に命に忠なりというべし。行功、後世までも芳香を伝うべきを信ずるなり。ローム大霊かしこくも、支配の仙神、隼人霊神と螺をなし給えり。紫風、紫光亦(また)この如く、元より螺をなし、以て行業一如の大道を示めせり。
 紫風の道のみにて、如何でか成道を得んや。いかに紫光の道のみをもって悟道に達するを得ん。即ち顕幽一如にして、物心一如なり。宜しく以て心をみそぎし、紫風、紫光一如となして、行即ち業の大法光らん。我等道を行ずと雖(いえど)も道を悟ること未(いま)だし。
 諸人(もろびと)と共になお錬修の行證を求め、霊は紫風にさらく、魂は紫光に浴して、力を養い、以て今年の開門に誓い、行を捧げ命に赴(おもむ)かんとす。謹みて神助を大霊の聖徳に仰ぎ、畏(かしこ).みて大御祭りに仕え奉り、人々と共に大御前(おおみまえ)に拝跪して大御名を称え奉るなり。
昭和35年3月廿日
                       紫風苑の審神者 小泉 平一
        敬白 」

 因みに、この祭文で隼人霊神を隼人仙神と尊称したのは、隼人霊神が生前天仙の位を得られていたことによるものと思われます。