小泉平一は、明治39年に現在の中央区銀座一丁目で荷造り材料商を営む、小泉商会の長男として生まれ、柴又帝釈天の白猿の霊の導きで心霊研究の道に入り、精神霊能者としての力を得ました。
昭和7〜9年頃、小泉家の飼い犬ポチの霊の導きで、田町にある森永製菓に勤務していた竹内栄一(後年の竹内満朋)と邂逅し、義兄弟となって共に浅野和三郎に師事しました。
初学の頃は専ら巫女形霊媒・小林寿子の背後霊・和彦霊から処世の悩み等への助言を得ておりましたが、竹内満朋に霊媒としての能力が開花したことから、昭和11年に同志と共に東京心霊科学協会菊川支部を設立して、直接神霊の指導を受けました。
昭和12年に浅野和三郎が帰幽した後は、心霊研究団体「菊花会」の小田秀人、言霊学研究家・菊地豊、神道研究家・麦林楢次郎等と研究に励み、高貴な神々から霊言を拝受し、また神霊に伴われて神霊界を巡る中で、地下資源開発の使命を授かっていることを知りました。
戦後は、その使命達成に奔走すると共に、竹内満朋の降霊会で垂示される、ローム大霊並びに各人の主護霊の霊言の解釈と、霊性開発のために三光太源会を主宰して終生門下生の指導を行い、昭和57年79歳で帰幽いたしました。
竹内満朋のように著書を著すことが無かったために、世間的には無名で終りましたが、長年の研究の結果究めた神霊界に関する貴重で膨大な資料が、一人息子となった私の手元に残されており、それを整理して世に広めることが私の使命となっております。